マサキの部屋

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一周年記念 第1回記事 特捜最前線「兜町・コンピュータよ、演歌を歌え!」を改めて語る

前回の記事で書いた通り、今回は一周年記念としてもう一度、特捜最前線 第369話「兜町・コンピューターよ、演歌を歌え!」について語る。

なぜ、一度語った物語をもう一度語るのかという疑問がこの記事を読んでいるあなたに浮かぶと思う。その疑問ついて答えたい。

等ブログを開設して一年が経った。一年続いたのはもちろん、読んでくださる方がいるからである。

ブログ更新と並行して私は沢山の本を読んだ。そしてとある本の内容と特捜の「兜町」がリンクする瞬間があった。だからこそ、一年経った今、等ブログを継続した経験と読書の知識も兼ねてもう一度、特捜の「兜町」を語ってみたいのだ。

前回の記事で「兜町」を私はこう表現した。兜町」は数十年という熟成期間を経て今最も味のする作品であると思うと。

そもそも、タイトルが凄い。

兜町・コンピューターよ、演歌を歌え!」

かなりのインパクトのあるサブタイトルだが、本編を見なければ何のことかサッパリ分からない。でも本編視聴後には納得のサブタイトルだから、あら不思議。

80年代に放送された特捜の「兜町」。平成をまたいだ昭和の作品であるが、なによりもテーマが先見性以上に予言めいた内容である。「兜町」はある意味SF要素含んだテーマをあくまであるが、それを刑事ドラマの範囲内できっちり描ききっている。それもまた凄い。

特捜は人情系というイメージが強いが、アクションや推理系など、"やるときはやる"というスタンスで、刑事ドラマの中ではオールラウンダーの立ち位置である。だからこそ、今回のようなテーマ・メッセージ色の強い物語が成立するのである。

では、改めて特捜の「兜町」を語っていきたい。

あらすじ

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何者かが証券会社のパソコンを破壊し、警備員を殺害して逃走。桜井は犯人の手口などから容疑者として立川という前科者をパソコンからはじき出す。以前立川を逮捕した船村は立川が容疑者であることを否定。そのうえ捜査にパソコンを使用した桜井の姿勢を非難。桜井と船村は事件を捜査するなかでコンピューター社会の残酷な現実を目の当たりにする・・・。

 

今回の主役は桜井と船村の二人で、コンビを組んで活動する。だが今回は息のあったコンビという訳ではなく、桜井が犯罪捜査のためにパソコンを導入し、それに反対する船村の対立が描かれる。船村が桜井とコンビを組む理由は、桜井の考え=パソコンのお告げ通りに捜査することの間違いを証明するためであった。

今回の事件の"パソコンがはじき出した"容疑者・立川は船村が逮捕した窃盗犯であった。現在は更生して流し(客のリクエストに応じてギターなどで曲を弾く)となり、結婚している。

船村には立川が殺しが出来るような男ではないというデータがあるのだ。その根拠として、窃盗犯は強盗犯のような強行手段は取らず、発見された時点で逃走するからである。だから警備員を殺害するはずがない。

捜査の結果、目撃者の証言により犯人と思しき人物は立川ではなく、全く別の人物が浮かび上がる。だが船村のデータとは裏腹に、犯人と思われる人物と立川が徐々に繋がっていく・・・。

なぜ、船村が犯罪捜査にパソコンの導入を反対しているのか理解できない人がいてもなんら不思議ではない。現在、刑事ドラマでは当たり前のようにパソコンを使っているし、そもそもパソコンは誰もが見慣れた存在である。

犯罪捜査において出来るだけ早く犯人を捕まえるために、文明の利器パソコンの導入は至極当然である。

我々にとって見慣れたパソコンを否定する船村はたしかに時代遅れの人間となってしまうが、本作を最後まで観るとそれだけの感想だけでは終わらない。そして船村は捜査の結果、今回の事件と立川が繋がったことについて、「コンピューターも捨てたもんじゃない」と自らの敗北を認める。

 

効率を求める時代

社会全体でパソコンが普及した時代、桜井は犯罪捜査にパソコンを導入した。

今回「兜町」では証券会社のパソコンが破壊される。実は事件の容疑者・立川はカラオケの普及によって流しを廃業に追い込まれていた。カラオケという存在に慣れすぎてあまりピンとこないが、カラオケも立派なコンピューターである。

兜町」の印象的な人物として、被害を受けた証券会社の社員がいる。その社員は元々、場立ち(証券取引担当員)だったが、コンピューター取引の導入によって配置転換を強いられ、場立ちではなくなってしまった。その社員は場立ちが証券取引をすることは生き甲斐であり、自らを追いやった存在のコンピューターを恨みたいけど恨んでも仕方がないという、元場立ち達のやり場のない思いを代弁する。

SFでいうコンピューターの恐怖は、コンピューターが自らの意思を持ち、人間に反逆するという形で描かれるが、「兜町」ではコンピューターの普及によって人間が仕事を失いつつあるという、誠にリアルな視点で描かれる。人間の生活を便利にするコンピューターが、人間以上の働きをすることによって人間の仕事を奪っていく・・・。

私は「兜町」は数十年という熟成期間を経て今最も味のする作品であると思うと書いたが、人間の仕事がコンピューター=AIによって失いつつあるという問題提議は、今現在、最も議論を呼んでいることではないか!!

その辺のことについてはネット記事等で読んだことがあるが、詳しくはユヴァル・ノア・ハラリ氏の著書「ホモ・デウス」で詳しく読んだ。

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

 
ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来

 

そう、「ホモ・デウス」と「兜町」がリンクした瞬間であった。

「ホモ・デウス」は同氏のベストセラー「サピエンス全史」の続編的著者で、「サピエンス全史」は我々ホモ・サピエンスの誕生から現在までの歴史を非常わかりやすい視点で描かれているに対し、「ホモ・デウス」は我々の未来予想がリアルな視点で描かれている。

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 
サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

 

 

兜町」の脚本を担当した阿井文瓶氏である。阿井氏は特捜では社会問題などを扱うことが多かったが、「兜町」の先見性を超えた予言性は誠に恐ろしさを覚える。

 

人間はあらゆることを効率化したがる。それは「兜町」の桜井も同じで、犯罪捜査のシステム化=効率化のために特捜の扱った事件をパソコンでデータ化した。たしかに時間を短縮することは必要であるし、率先して効率化を行わなければならない分野はある。

だが、最近やたら"効率化"にとらわれてはいないだろうか?それは本当に効率化する必要はあるものだろうか?その間になにかを失ってはいないだろうか?ものごとを効率化しすぎた結果、人間らしさを失うのではなかろうか?

兜町」で課長の神代は桜井に言った。

神代「技術が時代を推し進めている。そして我々はその技術に従って生きていくしかない。しかし、それだけでいいかどうかだな。」

特捜最前線 第369話 「兜町・コンピューターよ、演歌を歌え!」より

これは金言である。神代の言葉が現代に深く刺さると思う。

フォローしておきたいが、桜井も優しさを持った人間である。犯人の逮捕には身体以上の心の痛みを伴っている。

 

人間には喜怒哀楽がある。生きているから、壁にぶち当たる。だが当の本人にはなかなか超えられない壁でも、他人には簡単に超えられるものかもしれない。だがその壁を越えようとしたり、或いは超えられた瞬間にさまざまな感情を抱く。我々の人間らしさとは、まさにそこではないだろうか。

確かに効率よく生きられればそれに越したことはないだろう。だが、喜びという感情は果たしてどうなるのだろうか?

だがらこそ、我々が人間らしくいられるうちはその人間らしさを謳歌しようじゃないか。

データや理論的なノウハウなどがネットにはたくさん転がっている。でもそれが全てではない。人生にはそれを優に越える素晴らしい感動がある。それを引き寄せるのも、その人の持つ人間らしさだろう。

ハラリ氏は今後、AIありきの社会となることを予想している。我々が判断すべきこともあらゆるデータを元に、AIが人間に代わって判断するかもしれないという。世の中が便利なるのは良いことだが、それに頼りすぎのは良いことではない。だからこそ、神代の言葉を今一度深く刻んでおきたい。

 

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特捜最前線 第369話「兜町・コンピュータよ、演歌を歌え!」に見る現代の問題 - マサキの部屋

一周年記念 ベスト・オブ・マサキの部屋 - マサキの部屋

 

サカモト・マサキ (@unadultymovie) | Twitter

一周年記念 ベスト・オブ・マサキの部屋

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等ブログ「マサキの部屋」を開設して一年になる。なので今回はこれまでの記事の中から個人的にいろんな意味でベストだと思うものを5つ選び、それを振り返りつつ、ちょっとした裏話的なものを語っていきたいと思う。

今回の記事のタイトルにベスト・オブを付けたのだが、それはWWEのDVDっぽくしたかったからである。たまには背伸びしたタイトルもいいだろう。

 

その1

特捜最前線 第369話「兜町・コンピュータよ、演歌を歌え!」に見る現代の問題 - マサキの部屋

全てはここからはじまった。

なぜ、ブログ「マサキの部屋」をはじめたのか? - マサキの部屋 

ここでも若干触れているので、この記事を語るのは2回目になるのだが、第一回目の記事なので思入れは強い。

第一回目の記事はやはりパンチが欲しい。いろいろ考えて私の頭脳がはじき出した答えは、特捜最前線の「兜町」について扱うことだった。

今、時代は急速な変化を遂げている。最新式のものすぐに更新されて旧式になる。ケータイがスマホになるのを誰が想像できただろうか?そのスマホを我々は当たり前のように使い、万が一スマホを無くなれば、生活の一部を欠いたことになる。

そんな文明の技術革新を感じつつ、パソコンが普及しはじめた時代の、特捜最前線兜町」にフォーカスを当てるのはものすごく感慨深いものがあった。

あと、サムネイルの画像は「兜町」のエピソードとしっかりとリンクしていて、無料の写真素材はフリー素材のぱくたそさんで見つけることができたのが嬉しい。

個人的には第一回目の記事としては上出来だと思う。

兜町」については一周年記念として新たな記事で語りたいのでいったんこれまでにしておく。

ここで強調したいのは、「兜町」は数十年という熟成期間を経て今最も味のする作品であると思うのだ。

その2

ウルトラセブン 第42話 「ノンマルトの使者」の謎 - マサキの部屋

「ノンマルトの使者」・・・。これは私の中で消化できず、また想像力を掻き立てる作品である。現在、等ブログで最も読まれている記事でもある。誠に光栄であります。

私はふと、歌の歌詞となんらかの映像作品や出来事が頭の中でピッタリハマると瞬間がある。この状況、あの歌詞がピッタリじゃないのかと。記事執筆中に「ノンマルトの使者」とMr.Childrenの曲「シーラカンス」がピッタリとハマったのだ。「ノンマルトの使者」はウルトラセブンの問題作とさており、「シーラカンス」が収録されているアルバム「深海」も同じくMr.Childrenの問題作とされている。

現実においてシーラカンス生きた化石であるが、Mr.Childrenの「シーラカンス」は「生きていようが誰も知ったこっちゃない」的な投げ遣りな歌詞で、曲調も含めて仄暗い深海のような雰囲気を醸し出している。

一方、「ノンマルトの使者」のノンマルトは絶滅したと思われていた生きた化石であり、その存在すら許されない。そんな部分に「シーラカンス」との共通項を見出したのだ。

「ノンマルトの使者」の記事の執筆中の私は人生において色々あった後なので、何かとやさぐれていた(今もそうだけど)。私はノンマルトとシーラカンスと同じく、生きた化石のようにその存在が忘れらているというある種のパラノイア的な感覚がこの時に芽生えた。それからランボーの「消耗品、どうでもいい人間」に共感することになる。

その3

ウルトラセブン 第8話「狙われた街」について - マサキの部屋

「狙われた街」には古典的なウィットさがある。その古典的なウィットさとは短い尺でスパンと鋭利な結論を出してくることだ。しかもそれが、現代社会に通じるものであるから素晴らしい。古典も現代に通じるからこそ、今なお多くの人に読まれている。私は「狙われた街」に古典との共通項を見出したのだが、それには理由がある。その理由は「狙われた街」の記事の執筆直前に、Twitterのフォロワーさんから中国の古典「韓非子」を勧められたからだった。

韓非子

韓非子 (第1冊) (岩波文庫)

韓非子 (第1冊) (岩波文庫)

 

韓非子」は中国の古典で、故事成語の"矛盾"のエピソードが収録されており、性悪説と人間不信に基づき、法による徹底した統治や君主の心構えなどが記されている。それだけではなく、部下の造反・裏切りなどにも触れられている。徳間書店版の「韓非子」の帯には"非情の書"と書かれていて、まさにその通りである。

「狙われた街」のラストのナレーションは「人間同士は信頼し合っていない」であり、「韓非子」は人間不信に基づいている。「狙われた街」のナレーションを補強するために、人間不信の共通点を持つ「韓非子」というワードを記事の最後に持ち出してみたのだ。

だが、面白いことにフォロワーさんから「韓非子」を勧められたことによって、私にとって「韓非子」が人生の教科書になり、「狙われた街」の記事にも盛り込むことができた。

それは縁という素晴らしいものであり、これからも大切していきたいものである。人間不信について書いたつもりが、人とのつながりを感じるという私にとって誠にありがたい矛盾であった。

その4

北斗の拳 南斗聖拳シン! お前は報われぬ愛に命をかけた!! - マサキの部屋

この記事はプロトタイプ版「マサキの部屋」の記事を私の記憶を元に再構築したものである。再構築の新要素は、北斗の拳のシンとゲーテのウェルテルの共通点を見出し、南十字星のエピソードにも触れ、自分のインプットしたものを詰め込んだことだ。

この記事は等ブログで文字数が最も多く、内容としても私の中では大変満足のいく出来である。

記事によっては細かい部分に気を遣ったり、なかなか進まなかったりと大変な時もあるだが、この記事にいたってはやりたいことができたし、かなり楽しかった。

また、記事の最後には愛について触れたことも個人的に大満足である。

ブログを更新していくなかで、この記事でかなりの文字数を書くことができた。それは自分の文章に自信を得るキッカケとなり、新機軸を打ち出したというわけではないけれど、何か自分の新しい可能性を感じることになったのだ。

その5

前世魔人の正体見たり! !ダイヤモンド・アイについて - マサキの部屋

君の名は蘭花!!ダイヤモンド・アイについて - マサキの部屋

前後篇の記事なので二つで一つという扱いにした。「ダイヤモンド・アイ」が好きなのだが、前述の歌詞がふと繋がる瞬間で、「ダイヤモンド・アイ」と「君の名は。」の主題歌「前前前世」が繋がってしまった。

これはいつかやらなければと温めていたネタであり、そこそこ文章が書けるようになったタイミングで執筆した。

等ブログの方針としてシリーズものを扱う際、初めて扱うものにはシリーズ全体のあらすじを書くことにしている。そうなると、「ダイヤモンド・アイ」は説明することがたくさんあり、思いのほか長くなって前後篇という形にしたのだ。

「ダイヤモンド・アイ」を語りつつ、ネタ振りとオチを意識した記事になるのだが、単にただふざけて書いたのではなく、「ダイヤモンド・アイ」を知らなかった人にも興味を持って欲しいなという思いで書いた。

何事もアプローチはたくさんあっていいと思う。恋愛もそうじゃん?

「ダイヤモンド・アイ」(全26話)は後半の2クールで一気に恋愛路線となる。ここまでがっつりとした恋愛路線の特撮番組はなかなか珍しい。

主人公ライコウが恋したヒロインは敵の一味・前世魔人の指揮官のヒメコブラ蘭花である。

「ダイヤモンド・アイ」のヒロインが前世魔人・・・?前世魔人・・・?前世、前世、前世・・・!?

「ダイヤモンド・アイ」と「前前前世」がハマった最大の理由である。

ベストではないがお気に入り記事

アニメ北斗の拳のED「DRY YOUR TEARS」について - マサキの部屋

この記事は自分の中で挑戦的なテーマを担った記事である。なぜなら、アニメ北斗の拳のマイナーなED「Dry your tears」をひたすら延々と語るというものだからだ。

「Dry your tears」は全ての曲の中でもかなり好きなので、だからこそマイナーでも語ってみたかった。

等ブログの注目記事のスクリーンショット(6月8日現在 等ブログを開設してちょうど一年!)

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この記事は等ブログの初期の記事であり、「Dry your tears」の魅力をもっと伝えることができたのではないかと今となっては思うのだが、意外なことに注目記事第4位という大健闘を見せている。

なので、お気に入りの記事とさせていただいた。

 

一年やってみた感想

よく続いたなぁ・・・と思う。本来はここまで力を入れるつもりはなかったが、いつのまにかブログ更新こそ最優先事項となっていた。

最初は記事を投稿しても誰にも見られず、モチベーションの上がらない時期もあったが、それでもブログを続ける中でたくさんの方に見て頂き、時には評価のコメントをTwitterで頂くこともある。感謝しかないです、本当に。

自分を表現する場所として、最も相応しかったのが「マサキの部屋」だった。「マサキの部屋」は"特撮・ドラマ・映画その他もろもろについて語ります"という所謂レビュー系のブログとなるが、そのレビューを一生懸命書いてみるのが、私なりの自己表現であった。

私の人生において充実感を得るものの一つが「マサキの部屋」である。

あれこれと記事の内容を考え、実際に書いて、文章を修正して、投稿寸前まで何度も自分の文章を読み返す・・・。正直、自分の文章を何度も読み返すのはしんどいが、いざ投稿ボタンを押した瞬間の"絶頂感"に、そのしんどさも喜びに変わっている。

記事のネタはたくさんあるし、本当に書きたい記事はまだ取っておいてある。その本当に書きたい記事は自分にとって相応しいタイミングで執筆したいと思っている。今の段階で言えるのは、その本当に書きたい記事の内容は"とある特撮番組のアンチヒーローについて"である。そのアンチヒーローが私に人生において多大なる影響を与えた。

二周年目も「ベスト・オブ・マサキの部屋」をやりたいと思っている。そしてこれからもよろしくお願いします!!

 

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なぜ、ブログ「マサキの部屋」をはじめたのか? - マサキの部屋

第1作「ランボー」について - マサキの部屋

 

サカモト・マサキ (@unadultymovie) | Twitter

負け犬のバイブル 第1作「ロッキー」について

現代のシンデレラ、アメリカン・ドリームを体現した映画第1作「ロッキー」。アカデミー賞の作品賞、監督賞、編集賞の三部門を受賞している。

ロッキー (字幕版)

ロッキー (字幕版)

 

なぜ、ブログ「マサキの部屋」をはじめたのか? - マサキの部屋で紹介した、等ブログを立ち上げるきっかけのひとつとなった本、

「感情」から書く脚本術  心を奪って釘づけにする物語の書き方

「感情」から書く脚本術 心を奪って釘づけにする物語の書き方

 

で「ロッキー」について触れた箇所があった。正直言うとこの本を読むまで「ロッキー」を一度も見たことがなかった。この本曰く、「ロッキー」は負け犬ロッキー・バルボアがスターダムにのし上がるストーリーらしい。強烈に興味をそそられた私は「ロッキー」を視聴した。そして私は「ロッキー」が素晴らしい映画であることを実感させられたのだ。

「ロッキー」は前々から取り上げたいと思っていたが、自分の中でタイミングを逃していた。等ブログは特撮、刑事ドラマ「特捜最前線」の記事が圧倒的に多く、映画の記事がほとんどない。前回、やっと映画「ランボー」を取り上げたことで、そのつながりから今回「ロッキー」を取り上げることにした。

ランボー」と同じく、「ロッキー」はシリーズもので、もはや説明するまでもないが主演も同じくシルヴェスター・スタローン氏である。脚本も自らが手がけ、自身の俳優としてのキャリアである長い下積み時代と、主人公の三流ボクサー"イタリアの種馬"ことロッキー・バルボアの境遇を重ね合わせていると言われている。そして本作をきっかけにスタローン氏はスターダムにのし上がった。

「ロッキー」の着想はスタローン氏が世界チャンピオン モハメド・アリvsチャック・ウェプナー戦を見て得たのだという。

世界チャンピオンのアリ氏に対してウェプナー氏が下馬評を覆し善戦したが、結果は15RTKOでアリ氏の勝利に終わった。

スタローン氏はわずか3日で脚本を書き上げ、映画会社に持ち込む。だが映画会社は脚本は採用するが主演は別の有名な俳優で製作すると主張。スタローン氏は自身が主演でないとダメだと退かず、低予算などの数々の条件付きで「ロッキー」は製作された。このような背景は邦画の金子正次氏主演「竜二」と重なる(未見だが)。

あらすじ

無名の三流ボクサー・ロッキーはボクシングでは生活できず借金取りをして生活費を稼ぐ。ロッキーは親友ポーリーの妹・エイドリアンと結ばれ、新たな生きがいを見つけるが、世界チャンピオン・アポロから対戦相手として指名される。思いがけないチャンスが転がり、ロッキーの人生は好転していくが・・・。

「ロッキー」はボクシングを扱っているが、主人公ロッキーとその周辺人物による人間ドラマが中心のため、冒頭とクライマックスのアポロ戦しか試合のシーンが存在しない。逆に言えば人間ドラマをじっくり描いたからこそ、アポロ戦の盛り上がりは素晴らしいものとなるのだ。

ここで「ロッキー」の魅力的な登場人物に触れていきたい。

主人公 ロッキー・バルボア

三流のボクサーで、高利貸しガッツォの借金取りをして生活費を稼ぐ。ガッツォに金を返さない男の指を折ってこいと言われても、忠告で済ませ、不良少女に説諭したりと本来は優しい男。亀と金魚を飼っており、ペットショップの店員エイドリアンが好き。

ヒロイン エイドリアン

メガネをかけた地味でシャイな女性。なんだかんだで彼女もロッキーに気がある。ロッキーと結ばれて以降、メガネを外し、自分に自信を持つようになる。

ポーリー

ロッキーの親友でエイドリアンの兄。粗野な性格でロッキーとエイドリアンの仲を取り持とうとするが、やり方が強引でエイドリアンにはキツく当たる。最終的にエイドリアンに反撃される。アポロ戦では観客席でロッキーを応援。

ミッキー

ジムのトレーナーでロッキーを邪険に扱う。その理由はボクサーとしての才能があるのにガッツォの借金取りになったことが気に食わなかったからだった。ロッキーがアポロの挑戦者に指名されたことにより、態度を改めロッキーのマネージャー役を買って出る。突然の手のひら返しを受け入れられないロッキーに一度は拒否されるが、晴れてマネージャーに任命される。アポロ戦に向けてロッキーを徹底的にトレーニングし、試合中には的確なアドバイスを送る。

ガッツォ

ロッキーの雇い主の高利貸し。金を返さない男の指を折ってこなかったロッキーを叱りつけるが、何かと気遣う。また、アポロ戦では観客席でロッキーを応援。

アポロ

ボクシングの世界ヘビー級チャンピオンで、ニックネームは"破壊の帝王"。モハメド・アリを彷彿とさせるトラッシュトークを展開する。タイトル防衛戦が決まっていたが対戦相手が怪我で欠場することになり、無名の三流ボクサー・ロッキーを対戦相手として指名する。それは代わりとなる対戦相手が見つからず、"無名のボクサーにチャンスを与える"という話題性で客を呼ぶためであった。試合序盤、余裕をかましていたが、ロッキーの意外な強さの前にそうもいかなくなり、試合終盤にはロッキーの粘り強さに呆然とする。

 

ロッキーの部屋はボロボロで(ロッキー曰くブタ小屋)、周りからもバカにされ、一向に報われる気配はなく、借金取りをしてその日暮らしをする様はシンデレラを想起させる。そんな境遇でもロッキーは割と明るく生きているが、やはりどこか哀愁が漂う。

そこに世界チャンピオン・アポロから思わぬビッグチャンスを与えられる。

手のひらを返して周りからもてはやされるロッキーだったが、試合当日の朝、エイドリアンに自らの心境を明かす。

「勝てないよ。」

「俺は以前はクズみたいな男だった。

ロッキーは魔法が解けたシンデレラのように現実に戻る。そう、相手は世界チャンピオンで自分は三流の無名のボクサー。くぐってきた修羅場や経験値、どう考えても格が違う。

「試合に・・・、負けても、どうってことない。脳天が割れてもいいさ。最後までやるだけだ。相手は世界一なんだ。最後のゴングが鳴ってもまだ立ってられたら、俺がゴロツキじゃないことを・・・、初めて証明できるんだ。」

「ロッキー」より

これが「ロッキー」という映画の核心である。勝敗ではなく、勝負そのものに己の存在を証明しようとしているのだ。自分の人生が報われるチャンスを秘めた一度きりの大舞台・・・。そこに全てを賭けたい・・・。世界チャンピオン相手に、自分の意地を最後まで張る。

油断するアポロにいいパンチを入れ、善戦するロッキー。だがスイッチの入ったアポロに徐々にペースを握られ圧倒されてしまう。ロッキーは顔面から血を流しながらもアポロに立ち向かい、さらにはダウンを奪われても立ち上がる。ボロボロでもあろうと、自分がゴロツキじゃないのことを証明したいのだ。

そして勝敗を超えた感動が「ロッキー」にある。

「ロッキー」のテーマ曲は「ロッキー」を見てなくても、誰もが一度は耳にしたことがあるはずだ。だが「ロッキー」を見た後にそのテーマ曲を聞けば、それ以前とは印象が異なって、テーマ曲の中にロッキー・バルボアという男の存在を感じることが出来るだろう。

ロッキーで学んだこと

私は歳を重ねるごとに自分の可能性が狭まっていく気がする。自分の出来ないことがより具体的になっていく。それに私は健康な人からしたら、身も心も不健康である。人間はどん底になれば周りが良く見えて、悪い意味で利口になる。

あなたにとって人生とはなんですか?と尋ねられたら、私は真っ先に苦闘と答える。

いや、むしろ幸福と不幸、そして様々なことをエッシャーの回廊のように絶え間無く行ったり来たりして、そこに突如死が訪れるだけかもしれない。

真の価値は栄冠ではなく、苦闘にある。

リチャード・モンクトン・ミルンズ(政治家/イギリス)

倒されたかはどうかは関係ない。立ち上がるかが問題だ。ブランドン・ハースト 編 大城光子 訳 アルファポリス より

倒されたかどうかは関係ない。立ち上がるかどうかが問題だ。

倒されたかどうかは関係ない。立ち上がるかどうかが問題だ。

 

という言葉がある。苦闘のなかでも自分自信の輝きは失いたくはない。

ストレス爆弾を抱えたホモ・サピエンスの私でも、生きてりゃ良いこと=チャンスがあるかもしれない。どんな人間にも人より優れた部分はあるはず。その優れた部分を一生懸命伸ばせば、自分の狭まった可能性も取るに足らないものとなる。だから前を向いて、まるでロッキーのように立ち上がって行くしかいないのだ。そしたら、自分が生きていることをいつかきっと証明できるだろう。

チャンス 照れずに ツッ走って 幸運を味方につけよう

「チャンス」

作詞・作曲/小松未歩 編曲/古井弘人

小松未歩

そのマインドである。

 

ロッキー(1976)

監督・・・ジョン・G・アビルドセン

製作・・・ロバート・チャート アーウィン・ウィンクラー

脚本・・・シルヴェスター・スタローン

音楽・・・ビル・コンティ

ロッキー・・・シルヴェスター・スタローン

エイドリアン・・・タリア・シャイア

ポーリー・・・バート・ヤング

ミッキー・・・バージェス・メレディス

アポロ・・・カール・ウェザース

ガッツォ・・・ジョー・スピネル

 

 

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第1作「ランボー」について - マサキの部屋

 

サカモト・マサキ (@unadultymovie) | Twitter

第1作「ランボー」について

過去の記事なぜ、ブログ「マサキの部屋」をはじめたのか? - マサキの部屋の約束通り、今回は映画「ランボー」についての記事である。

ランボー」はシリーズ作品であり、誰もがその名を一度は耳にしたことがあると思う。今年9月22日には最新作かつ完結編が全米で公開される。さらには亜流やパロディ作品などが存在し、 比喩表現としても「ランボー」が用いられ、様々な作品に影響を与えている。

今回はランボーシリーズの第1作について語りたい。

ランボー

監督:テッド・コッチェフ

脚本:マイケル・コゾル、ウィリアム・サックハイム、シルヴェスタ・スタローン

原作はデヴィッド・マレル氏の小説「一人だけの軍隊」。

原題は「FIRST BLOOD」。FIRST BLOODは先に手を出したとか、先制攻撃とかそんなニュアンスである。

本作の映画化に関してはいくつかの映画会社で放映権が移るという紆余曲折を経て、最終的にカロルコ・ピクチャーズにて制作された。

主演はもはや説明するまでもないが、シルヴェスター・スタローン氏。本作はスタローン氏の代表作であり、劇中のスタントの大半も本人がこなしている。崖から木に落下するシーンでは肋骨などを数カ所骨折したらしく、作中から伝わるアクションと痛みまさにホンモノだ。共同で脚本もスタローン氏が執筆している。

パロディや比喩表現のイメージの「ランボー」が独り歩きして、第1作を見る以前はスタローン氏のライバルのアーノルド・シュワルツェネッガー氏の主演作「コマンドー」的な作品だと思っていたが、実際は違う。特に第1作の「ランボー」は暗く、重い。それにヒロインも存在しない。ベトナム帰還兵の主人公ランボーの孤独な戦いが描かれる。

あらすじ

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ランボーは戦友を訪ねるが、その戦友はすでに病死していた。その足で町へ向かうと、警官ディーズルに不当に逮捕されてしまう。署に連行されたランボーは警官達から理不尽な扱いを受け、ベトナム戦争の陰惨な記憶が蘇る。ランボーは発作的に警官達に反撃し、森に逃げ込む。かくしてランボーの一人だけの戦争がはじまった・・・。

孤独な終わりなき戦い

冒頭、ランボーベトナム戦争の戦友の家を訪ねるが、その母親から息子は化学兵器の影響によってガンを患い、死亡したと告げられる。開始早々からかなり暗い。

戦友の死を告げられる前にランボーは、母親に戦友との想い出を笑顔を交えて無邪気に話していたが、戦友の死を知らせられた瞬間、ランボーから一切の笑顔が消える。

本作のテーマはWikipediaから言葉を借りると、「戦争の傷」である。主人公ランボーも過酷な戦争経験からPTSD心的外傷後ストレス障害を患っている。

PTSDは自然災害、事故、戦争、暴力などが原因となり発症する精神疾患である。精神的に苦痛な体験や強いストレスによってその体験がフラッシュバックしたり、不安・緊張が続く。また、目まい、不眠などの症状があるという。

あの名作映画「タクシードライバー」の主人公トラヴィス(演:ロバート・デニーロ氏)も「ランボー」と同じベトナム帰還兵であり、不眠症を患っている。

原作者のマレル氏はベトナム帰還兵の体験談を元に小説「一人だけの軍隊」を執筆。PTSDを患った帰還兵もたくさんいたようだ。

当時、帰還兵達は世間から非難を浴びていた。

ランボーを追い込んだ警官ディーズル(演:ブライアン・デネヒー氏)はかなりの頑固者だが、町の住民や警察官達と上手くやっている。ディーズルはランボーに「人に好かれる気はないのか?」と言った。人に囲まれているディーズルにとってランボーはただの不審者にすぎなかったのだ。

 警察や州兵から追われる身となるランボー。だがランボーは元グリーンベレーでゲリラ戦のプロであり、サバイバルナイフと森の地形を利用して追っ手を退ける。しまいには機関銃M60を奪い、ディーズルの町へ逃げ込む。そして体に銃弾帯を巻きつけたランボーはM60で町を破壊する。

ランボーは追われる身となった瞬間、完全にこの世の中の居場所をなくしたと言っていい。先に向こうが仕掛けた戦いでも、ランボーの戦いは虚しい反逆でしかなく、その先に明日はない。

そこにランボーを育てた元上官・トラウトマン大佐(演:リチャード・クレンナ氏)が説得しにやって来る。トラウトマンはナイスミドルで実に魅力的な人物だ。

警官の投降の呼びかけには一切反応しないランボーもトラウトマンの呼びかけには無線越しでその重い口を開く。戦友を亡くしたランボーにとってトラウトマンがこの世で唯一の理解者であった。トラウトマンはランボーを追うことに執念を燃やすディーズルに、ランボーがいかに危険な戦闘マシンかを再三に渡り警告する。だが、ディーズルにその警告は聞き入れられなかった。

本作の見所はド派手なアクションもそうだが、ラストのトラウトマンの説得シーンこそ、最大の見所と言ってもいいだろう。

トラウトマンとついに対面するランボー。トラウトマンはランボーに「包囲されている。逃げられない。もう任務は終わったんだ。」と言う。それに対してランボーはトラウトマンを指をさして言った。

「Nothing is over! Nothing!

(何も終わっちゃいないんだ!)」

ランボー」より

帰国すれば非難され、そのうえ仕事も無い。仲間は戦場で亡くし、堪え難い悪夢が今でもずっと続いている・・・。

本作はアクション映画だが、敵を倒すために戦うのではなく、社会に抑圧された主人公が暴れ回るのである。だから、破壊行為の発端が主人公の心の傷なのだ。本作はアクション映画でありながら感情に訴える映画で、その部分が作品としての評価を上げている。ランボーシリーズで一番評価が高いのは第1作の本作である。

彼は僕自身の負の部分だ

ランボーの素顔」より

本作のBDの映像特典の「ランボーの素顔」でスタローン氏がそう語っている。スタローン氏のもうひとつの代表作の「ロッキー」は自身の境遇と重ね合わせたストーリーであるが、本作は栄光に向かっていくのではなく、ひたすら虚しい方向に向かう。また、シュワルツェネッガー氏の超人的な「コマンドー」と比べてみても、「ランボー」は人間臭く、弱さを持ち合わせている。だがらこそランボーは感情移入できるキャラクターなのだ。

そしてテーマ曲「It's a Long Road」は後のシリーズを予期するかのようにランボーの戦いはこれからも続くのであった・・・。

消耗品=どうでもいい人間

ランボーは次回作「ランボー 怒りの脱出(FIRST BLOOD PART Ⅱ)」で過去を振り返った時、自身のことをこう形容した。

消耗品(Expendable)。

そう、聞き覚えのある単語であろう。

さらにランボーは続ける。

「パーティに欠席してそれを誰にも気づかれない人間 どうでもいい人間だ」

ランボー 怒りの脱出」より

このセリフが心に残った。

第1作の「ランボー」の戦いは俗世間から外れた人間の"心の中の戦い"、つまり、孤独な人間の心の中と凄く似ていると思うのだ。ディーズルは頑固者だが町の人間と上手くやっている。そのディーズルに追い込まれたランボーは森に籠城して追っ手を退ける。この世界から居場所をなくしたランボーはたったひとり、孤独になったのだ。

孤独な人間は人間社会で上手くやっていけない。上手くやるには人に好かれたり、周りの人間と良好な関係を築かねばならない。孤独な人間は繊細で、器用に生きられない。だから自分の世界に籠城し、なるべく周りとの接触を避けるのだ。そしていつの間にかにその存在が忘れられている。

ランボーの境遇は違えど、心境的には共感出来る部分があると思う。著名人達はよく友達は要らないというキャッチーで極論じみたことを言うが(内容、発言の前後が切り取られてる場合がある)、人間として生きる以上、友達・知人を通して自分の存在を証明したいものだ。誰かに必要とされるということは本当に大事である。しかし、それが出来ずに孤独を選んだものの、結局は人を求めてしまうというヤマアラシのジレンマ。

戦友を探しに来てその死を知らされ、さらにこの世の居場所を完全に失ったランボー。やはり人間は一人で孤独に生きていくのは難しいのだ。友達は数が多ければ多いほどいいわけではないが、全くいないのはかなり辛い。だからこそ、数人の友達を大事にしていくべきである。

だって、友達と一緒に盛り上がれれば笑い合えれば自分の人生は楽しいと思えるではないか?

 

【参考資料】

ランボー Wikipedia

タクシードライバー Wikipedia

ランボー Blu-ray 映像特典 ドキュメント 「ランボーの素顔」

PTSD|病名から知る|こころの病気を知る|メンタルヘルス|厚生労働省

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サカモト・マサキ (@unadultymovie) | Twitter

君の名は蘭花!!ダイヤモンド・アイについて

前回の記事 前世魔人の正体見たり! !ダイヤモンド・アイについて - マサキの部屋

本当は記事を前後に分けるつもりはなかったが、思いのほか長くなってしまい、仕方なしに分けることにした。前後に分けたことにより、後半の「ダイヤモンド・アイ」についてたっぷりと語ることができる。まさしく怪我の功名だろう。

レインボーマン ダイヤモンド・アイ コンドールマン大全(岩佐陽一 編 双葉社)」の本作の関係者のインタビューによると、後半には視聴率を上げるためのテコ入れとして新たなキャラクターが登場する。そのキャラクターの登場により、本作は前半とは違った魅力を放つことになる。前半は後半と比べると地味な印象は否めないが、だからといって前半が面白くないのかというとそれは違う。前半で築いた世界観があるからこそ、後半が成立するのだ。

後半ではOP・EDの映像を一新。前世魔人一味を大きくフューチャーした派手なものになった。それに伴ってか、前世魔人の作戦もハリケーン作戦という水面下のものから、頭脳改造作戦という実力行使のものに切り替わっていく。

後半の「ダイヤモンド・アイ」

前半の最終話でダイヤモンド・アイはキングコブラを退いたが、完全に倒すまでには至らなかった。

一方、キングコブラは悪霊界に逃げ帰ったものの、アイによって受けた傷が深く治療に専念しなければならなかった。キングコング娘の蘭花=ヒメコブラをパリから日本に呼び寄せ、前世魔人の代理の指揮官とした(第14話)。

蘭花は小手調べとしてか、父親の敵ライコウに素性を明かさず接近する。

蘭花ライコウは出会った時点でお互いに惹かれ合う「DAN DAN心魅かれてく」のではなく、出会った時点でお互いがお互いに惹かれている。

そう、蘭花の登場により、本作は恋愛路線となったのだ!!蘭花ライコウ、敵と味方に別れた二人のロミオとジュリエット的なラブストーリーを1クールを通してじっくり描いていく。

後半の路線を蘭花に吹っ切ったのは英断といえよう。蘭花は本作に"華"を添えた上に番組の最大の魅力となった。特撮番組でがっつりとした恋愛路線はなかなか珍しい。

実戦経験のない蘭花をサポートするために、キルト=前世魔人オニカブトン(演:片岡五郎氏)が登場。キルトは残忍で嫌味ったらしい性格だが、傷ついた前世魔人の治療を行うなど、前世魔人一味の中で非常に重要なポジションである。さらに冷酷な性格の魔倫(演:吉田未来氏)=ケロキャットも同じくサポート役として登場。二人は蘭花に振り回されながらも、サポート役に徹する。

前半では毎回登場していた源海龍はストーリーの都合上、出番が少なくなる。だが、要所要所で登場しては前世魔人の王としての貫禄を見せつける。さらに蘭花の父親という一面が加わり、前半よりも存在感が増したといえる。

前世魔人一味の頭脳改造作戦は普通の人間を洗脳装置によって自らの手駒として悪事を働かせるのだが、洗脳された人間を元に戻す手段として、アイの怨霊逃散洗礼光線が活躍する。怨霊逃散洗礼光線は前世魔人の魔力から人を救う能力があり、前半から使われていた。

二人の恋愛模様

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ライコウは真っ直ぐな男だ。変に気取ったり、スカしたり、ドSとかそんなタイプではない。だからこそ素直に応援したくなる。ライコウには下心のような邪な感情はない。ただ純粋に好きなだけ。そしてライコウ蘭花に対するアプローチはド直球である。駆け引きがどうのこうのではないのだ。

ヒロイン蘭花は父親・源海龍の娘=前世魔人の指揮官としてライコウと敵対しなければならない宿命である。蘭花は悲しみながら自らに課せられたを宿命を全うすることを決意する。

だが、蘭花は優しい性格であり、悪としての素質は皆無と言っていい。ライコウの母親(演:菅井きん氏)を人質に取りながら、アイの弱点をつく作戦を「汚い!」と一蹴し、作中を通して誰も殺すことはなかった。ライコウと敵対しても、ライコウの説得で蘭花は善悪の間で心が揺れ、それは前世魔人ヒメコブラの姿になって変わらなかった。蘭花は葛藤を抱えつつも前世魔人の指揮官として気丈に振る舞おうとする。

蘭花の母親はこの世にはもう存在していない。蘭花のセリフによると、母親は蘭花を産むと同時に亡くなったという。蘭花は母親に対する憧れが強く、だから前述のライコウの母親を人質に取る作戦には強く反対したのだろう。

劇中では蘭花の母親が前世魔人か、人間であったのかは不明で、人間であったと解釈できなくもないが、母親に関する情報が「優しい」というだけなので判断するのが難しい。源海龍はその辺のことについてはいっさい語ってくれない。

とにかく、蘭花は母親の「優しさ」を受け継いだのは確かであり、蘭花の「優しさ」については部下の前世魔人達も認識している。

蘭花を演じたの隅田和世氏。

イナズマンF」第36話「美しいサイボーグ!暁に分身す!!」のあけみ=サイレンサーデスパー役や「キカイダー01」のリエコ役など、昭和の特撮ファンには有名である。

隅田和世氏は上品な顔立ちであるが、どこか儚さを感じさせる。凛としつつ、時に見せる戸惑いの表情は観ているこちらのハートを鷲掴みにしてくる。ライコウが死んだと誤解した時には複雑な表情を浮かべるなど、随所にキュンとする。

蘭花=前世魔人ヒメコブラは全身が蛇の鱗で覆われ、右手からコブラの頭が突き出しており、そのコブラの頭で敵を幻惑する。顔は前世魔人には珍しく人間に近い。髪は白よりの金髪で口から牙を生やしている。ヒメコブラの顔は蘭花を演じた隅田和世氏を彷彿とさせる造形である。やはり、この点から見ても蘭花=ヒメコブラは特別に力を入れたキャラクターであることが分かる。

ライコウの言葉に自らの悪事に対して躊躇する、悪人になりきれないヒロイン・蘭花

そんな蘭花を悪の道から救えるならば、なんとか救い出したいライコウ

ライコウ守護神アイに言った。「蘭花も前世魔人のキングコブラの娘として生まれてなければこんなことには・・・。」と。

ライコウは悪の道から救済する方法をとして、蘭花怨霊逃散洗礼光線を浴びせることをアイに提案する。だが、そう単純な問題ではないのだ。

アイ曰く、蘭花自身が悪の道、キングコブラとの全ての縁(えにし)を断ち切る強い意思がなければ、怨霊逃散洗礼光線を浴びせても意味がないという。

そしてアイは蘭花が邪悪な意思を持ち、自らの前に立ち塞がるのであれば容赦なく倒すと宣言。他の前世魔人が身代わりとなったためことなきを得たが、アイはヒメコブラに必殺のロイヤルパンチを放ったことがある。

一応、アイはライコウ蘭花を救おうとしていることに理解は示すが、戦いの中でチャンスがあればあくまで倒すというスタンスである。

王の帰還

最終決戦に近づき、前世魔人の王キングコブラ=源海龍が治療を終えて戦線復帰する。

源海龍

「人間どもの持つ醜い欲望や不正や力の強いものが弱いものを虐げるなどという悪の心がなくならない限り、我々もまた永遠に滅びることはない。」

第26話(最終回)「キングコブラ大決戦」脚本:伊藤恒久 監督:山田 健

これは娘・蘭花に向けたセリフだが後のコンドールマンのモンスター一族に通じているような気がする。

悪人になりきれない蘭花と違って大悪人の源海龍は人質を使い、ライコウ達を捕らえることに成功。アイを窮地に追い込む。手出しできないアイを目前に、生意気な人間ども=ライコウ達の処刑を行うと宣言。それに対してライコウは言った。「どうせ殺されるなら、あんたの娘の蘭花に殺されたい」と。それを聞いたヒメコブラの姿の蘭花は激しく動揺する。

そう、ヒメコブラの姿でもライコウ蘭花と呼んだのだ!!

君の前前前世から僕は君を探しはじめたよ

前前前世

作詞・作曲:野田洋次郎

RADWIMPS

まさに"君の名は蘭花"だ(厳密には"ZEN ZEN"違うけど)

特撮番組では1話限りの恋、女性怪人とヒーローの恋愛が描かれることが多々ある。ラストは女性怪人が改心して殺されるなど基本的に悲恋で終わる。本作もそれと同様のプロットではあるが、1クールを使って恋愛模様をじっくりと描いたことにより、ラストの感動は大きい。

本作は昭和の作品なので荒削りな部分は否めないが、本作の持つ熱さはどの作品よりも抜きん出ている。たしかに本作は非現実の世界の恋愛ドラマで、現実の恋愛なんて上手くいかねぇよと思っても、ライコウの真っ直ぐな想いを見て優しい気持ちになれるかもしれない。なんだかんだで、愛の本質はそういうもんじゃないのだろうか?愛する女性のために頑張る男はやはりカッコいい。

ふと思うのだが「ダイヤモンド・アイ」の最終回のEDで善悪引っくるめて、みんなで恋ダンス的なことしてたら面白い。あっ、そう言えばコンドールマンの怪人ゼニクレージー星野源氏と共演してたな・・・。

 

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ダイヤモンド・アイVOL.4 [DVD]

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【参考資料】

レインボーマン ダイヤモンド・アイ コンドールマン大全(岩佐陽一 編 双葉社)

イナズマン大全 イナズマン イナズマンFの世界 岩佐陽一 編 (双葉社)

ダイヤモンド・アイ DVD Vol.1 封入特典:解説書

ダイヤモンド・アイ DVD Vol.2 封入特典:伊藤恒久インタビュー

ダイヤモンド・アイ Wikipedia

 

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前世魔人の正体見たり! !ダイヤモンド・アイについて

君の前前前世から僕は君を探しはじめたよ

前前前世

作詞・作曲:野田洋次郎

RADWIMPS

2016年に公開され、大ヒットを記録した「君の名は。」(東宝)の主題歌であり、日本中の誰もが一度は耳にしたことのあるワンフレーズであろう。

特撮というジャンルは基本的にヒーローと怪人(怪獣)の戦いが描かれるが、星の数ほど存在する特撮番組では怪人にも様々な名称があったりする。その中でも一際、目を引くのが「ダイヤモンド・アイ」に登場する悪の一味・前世魔人。

前世魔人というワードはかなりのインパクトがあり、「前世魔人とは一体なんだ?」と非常に興味をそそる。

今回はその「ダイヤモンド・アイ」について語っていきたい。

「ダイヤモンド・アイ」は1973年10月5日〜74年3月29日(全26話)まで毎週月曜日19:00〜19:30、NET系(現:テレビ朝日)で放送されていた。製作は東宝・NETで、原作はあの川内康範氏。等ブログで扱った「レインボーマン」(東宝)と「コンドールマン」(東映)、そして本作「ダイヤモンド・アイ」は川内ヒーロー三部作とされる。本作は「レインボーマン」の後番組であり、三部作の二番目に当たる。本作の脚本は伊藤恒久氏。伊藤恒久氏は前作「レインボーマン」と「コンドールマン」を担当しており、三部作全てを担当している。

特撮といえば東宝のイメージが強いが、それは「ゴジラシリーズ」というネームバリューを築いたからである。「ゴジラ」は日本の国民的怪獣として愛され、今や日本を超えて世界の怪獣となっている。これは個人的見解になるが、特撮映画において"最高品質"の東宝はテレビシリーズの特撮になると途端に曲者感が強くなる。本作もその例に漏れないだろう。やはりテレビシリーズの特撮のスタンダードは東映で、東宝のテレビシリーズはその数も少ない。だが、数は少ないとしても曲者の作品達の独自の魅力は凄まじいものがある。

本作のコンセプトを変身ではなく、献身ものとし、独自の路線を追求。主人公ライコウがダイヤモンド・アイに変身するのではなく、ダイヤモンド・アイという全能の神の遣いである守護者と共に正義のために献身する物語なのだ。独自の路線の追求はコンセプトだけでなく、特撮・アクションシーンでもそうであり、試行錯誤の跡がうかがえる。

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正義のために献身する者達と神の遣いダイヤモンド・アイ

ライコウ(演:大浜詩郎氏)

本名は雷 甲太郎。職業はルポライターで、愛車のバイク・サンダー号に乗り悪を追う。基本的にどんなにことにも猪突猛進のザ・体育会系の男である。格闘能力・身体能力共に高い。

ライコウを形容する表現として「ペンはオレの刀だ」があるが、劇中で文書を書いてる描写はいっさい存在しない。彼の書いた記事は一体どのようなものかは非常に気になるところで、一度でいいから読んでみたい。

ライコウは当初、経済界の黒幕・大沢山(演:神田隆氏)の脱税疑惑を追っていたが、来日した香港暗黒街の王・源海龍(演:南原宏治氏)と大沢山が結びつく。源海龍は大沢山を凌ぐ存在であるが、それはあくまで人間の姿であり、真の姿はキングコブラという前世魔人の王である。源海龍によりピンチに陥ったライコウはダイヤモンドから出現したアイにピンチを救われる。アイに自らを呼び出すアイリングを"友情の証"として授かったライコウは正義のために献身していく。

ライコウにはアイの他に仲間がいる。それはカボ子(演:黒沢のり子氏)と五郎(演:福田悟氏)。

カボ子はトランプの扱いに長け、占い、マジック、投げなど器用にこなす。カボ子のトランプ占いはかなりの的中率を誇り、その後の展開を視聴者に期待させるための大事な役割を担っている。また、トランプ投げによってライコウのピンチを救うこともたびたびあった。

五郎はふくよかな体型の気の良い青年で、ライコウを先輩と慕い、その助手として活躍する。

ライコウは前作「レインボーマン」の主人公ヤマトタケシと比べるとかなりの熱血漢である。さらには孤独な戦いではなく仲間と共に戦うという、全体的に陽の主人公として描かれた。ヤマトタケシは根が暗いわけではないが、やはり使命の十字架で苦悩する部分が陰を感じさせる。ライコウ役の大浜詩郎氏は「レインボーマン ダイヤモンド・アイ コンドールマン大全」(岩佐陽一 編 双葉社)のインタビューによると、「レインボーマン」のオーディションを受けていたという。仮にヤマトタケシを大浜氏が演じていたのなら、違う魅力を持ったヤマトタケシが誕生していたに違いない。

ダイヤモンド・アイ(声:第1〜7話 池水通洋氏、第8〜26話 野田圭一氏)

ダイヤモンド・アイVOL.1 [DVD]

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アイは神が遣わせたブルーダイヤ=アラビア王の精で、この世の悪を全て退治しない限り、元のダイヤモンドには戻れないという途方もない宿命を背負っている。そんなアイは前述の通り、ライコウの守護者という役割で人間では倒せぬ敵・前世魔人を倒すためにアイリングからライコウに召喚される。

アイはダイヤモンドのついたステッキを駆使して前世魔人と戦う。ステッキの先端は鋭く尖っており、剣としても使用する。

特にステッキのダイヤモンドを放つ、必殺のロイヤルパンチは強力で、どんな前世魔人を必ず倒すことができる。

アイは神が遣わせたヒーローということで無敵そうなイメージがあるが、戦闘能力の殆どがステッキのため、ステッキを奪われると防戦一方になり、戦闘員クラスの前世魔人にすらまともに戦えなくなってしまう。また、光がないと力を発揮できなかったり、逆に強い光が苦手などの弱点が多々存在する。そして、弱点を突かれてピンチに陥ったアイが逆にライコウによって救われることもある。そう、アイとライコウは共に力を合わせて闘っているのだ。

アイの両目からから放たれる外道照身霊波光線は人間の姿をした前世魔人の正体を暴くことができる。

アイに正体を暴かれた前世魔人達は「ばぁれたかぁ〜!」と言うのがお決まりとなっている。

前世魔人

前世魔人は普段は人間の姿をしている。源海龍の部下の前世魔人は基本的に殺し屋である。

前作「レインボーマン」とは違い、本作は毎回怪人=前世魔人が登場するが数種類の前世魔人がローテーションという形で登場する。

・モージンガー

・サタンバット 

・ヒトデツボ

・ケラリン

・ワレアタマ

・ゲララチン

・ケロキャット

彼らはひとつの種族であり、倒されても別人という形で再登場してくる。その際、着ぐるみにマイナーチェンジなどはない。安上がりという見方もあるかもしれないが、逆にそれがユニークだと思う。

源海龍=キングコブラ(演:南原宏治氏)

表向きは貿易商だが、実はアジア征服を目論む香港暗黒街の王で、13の顔を持つと言われている変装の名人でもある。非常に残忍な性格。

スイスの国立銀行から世界一のブルーダイヤ=アラビアの王を盗み出している。

渋くクールな魅力の源海龍だが、キングコブラになると途端にテンションの高い、コミカルなキャラクターになる。源海龍とキングコブラのギャップが凄まじい。

アイが出現すると、部下に任せて自分はすぐさま前世魔人の本拠地・悪霊界に逃げ帰るが、いざとなるとかなりの実力を発揮する。やはり部下の前世魔人との格の違いを見せつける。

源海龍=キングコブラを演じた南原宏治氏は悪役俳優で、前世魔人の王には相応しい存在である。源海龍とキングコブラのギャップについて触れたが、たまにコミカルな部分を見せるのも南原氏の魅力のひとつであろう。また、源海龍として変装した際の演技も必見である。

正直、劇中では前世魔人についてハッキリとした説明がない。セリフ等で断片な事は分かるが、どのような解釈をしていいのか難しい。

本作のDVD Vol.1の解説書とVol.2の封入特典の伊藤恒久インタビューに前世魔人について触れてあったのでその一部を引用したい。

献身ヒーロー、ダイヤモンド・アイに対するのは、前世が魔人だった悪人たち。前述の記事の中で(読売新聞73年7月20日付のてれび街のコラム)原作の川内康範の「悪事を働く人間は、前世において、人間にも十二支の動物にもなれなかったチミモウリョウの化け物であり、主人公にダイヤが献身することは、美しい心の人間は心にダイヤをちりばめているという仏教思想をとりいれた」というコメントが紹介されている。

ダイヤモンド・アイ DVD Vol.1 解説書より

ー"前世魔人"というユニークな悪役が登場しますね

伊藤  人間の持っている欲望について描きたかったので、前世魔人を考えました。本作に出てくる悪役は、前世が悪かったんです。金の亡者でお金に狂って死んで、お金にとりつかれて魂も汚れている。醜いあくなき欲望、前世の執念に取り憑かれいるんです。そこで、ダイヤモンド・アイが前世の姿を明らかにして浄化し、あの世に封じ込めて返す。それが前世魔人の設定なんです。単に悪役を斬って捨てるというものとは違うんです。

ダイヤモンド・アイ DVD Vol.2 伊藤恒久インタビュー 文・構成:石井良和 より

本作に登場する悪人の全てが前世魔人という訳ではなく、大沢山のような大物でもあくまで人間のようだ。だが、大沢山の部下が前世魔人モージンガーだったりと、前世魔人についてはやはり謎が多い。

ストーリーライン

全26話の本作は前世魔人一味が前半1〜13話にハリケーン作戦、後半14〜26話では頭脳改造作戦を展開、それらをいかにアイとライコウ達が阻止するかが描かれる。

ハリケーン作戦は源海龍が資金源確保のため、不正を働いた政治家や実業家などにつけ込んで大金を巻き上げる作戦である。なので表立って悪事ではなく、水面下で行われるものだった。前作「レインボーマン」の死ね死ね団の作戦とは違い、派手なものではなくミニチュア等のメカニックも登場しなかった。

前述の「レインボーマン ダイヤモンド・アイ コンドールマン大全」(岩佐陽一 編 双葉社)で「レインボーマン」と本作の企画・プロデューサーの衛藤公彦氏と脚本家の伊藤恒久氏のインタビューではやはり、本作は子供には分かりにくい部分があったと振り返っている。複雑なストーリーの中に「利権」などの小難しいワードも登場。

ライコウと大沢山の娘・京子(演:青木英美氏)のやりとりもハリケーン作戦と並行して描かれた。さらに京子は悪人である父親との葛藤を抱えていたり、複雑な人間ドラマでもあった。

非常に見応えがあるが、初見で全てを把握するのは難しい。

だが、独自の路線の追求によって本作はオンリーワンの輝きを放っている。

後半になると「ダイヤモンド・アイ」の雰囲気が変わる。その雰囲気は実に"華やか"で「ダイヤモンド・アイ」の最大の魅力でもあるのだ。

ここまで書いたが、かなり長くなってしまったのでいったん区切りをつけたい。後半については次回で語る!!

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【参考資料】

レインボーマン ダイヤモンド・アイ コンドールマン大全(岩佐陽一 編 双葉社)

ダイヤモンド・アイ DVD Vol.1 封入特典:解説書

ダイヤモンド・アイ DVD Vol.2 封入特典:伊藤恒久インタビュー

ダイヤモンド・アイ Wikipedia

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君の名は蘭花!!ダイヤモンド・アイについて - マサキの部屋

 

サカモト・マサキ (@unadultymovie) | Twitter

なぜ、ブログ「マサキの部屋」をはじめたのか?

等ブログ「マサキの部屋」を開設してあと少しで1年になります。ということで、今回は「マサキの部屋」を開設した理由・背景等を語っていきたいと思います。たまにはこんな感じの記事があっていいなと個人的には思うので。

プロトタイプ"マサキの部屋"

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前回の記事で触れた通り、元々「マサキの部屋」はコンセプトを決めていないプロトタイプバージョンを2018年の1月頃から数ヶ月間だけ開設していた(現在は削除)。

現在、新しく生まれ変わった「マサキの部屋」は映画・ドラマ・特撮、その他諸々について語るということをコンセプトとしているが、今のところ映画とドラマ(特捜最前線しかない)の記事は圧倒的に少ない。これからは増やしていく予定なので暖かく見守ってやってください。お願いします。

数ヶ月間だけであるが試験的にブログを更新するなかで、閲覧数はともかく、一つの記事を書き終えるということに"自分の中での手応え"と充実感があった。

学生時代はロクに勉強もせず、漫画や簡単なSS風の物語を書いていた。それは全て手書きというアナクロで、不特定多数の人に見せることはせず、読んでいただくのは身の回りの人=特定の人達であった。完成したものより描きおえずに放置したものの方が多く、自分は物事が続かない人間だと痛感していた。だが、ブログというデジタルは不特定多数に人に読んでいただくものであるし、ケータイがあれば手軽にできる。その手軽さこそ、私がブログをはじめた一番の動機と継続できた要因であると思う。また、なんとなく勉強していた物語の書き方等のノウハウはブログの記事を書くなかで非常に参考になり、起承転結を意識することで記事の流れをイメージしやすく、記事の構想を練ることは苦ではなかった。

私は学生時代、ロクに勉強をしなかった人間である。勉強が出来なかった、やらなかったということは自分の中で劣等感になり、自分自身の可能性を狭めることに繋がってしまっていた。

それでも国語だけは好きだった。だからと言って点数は良かったわけではない。取れて平均点か、それより下。少なくとも国語で赤点を取ったことはない。それだけは強調しておきたい。だがそれが巡り巡ってブログ「マサキの部屋」に繋がっていると思うと非常に感慨深いものがある。自分では自分の人生をクソだと思っても後々、案外悪くないなと思える瞬間が来るから、人生は絶妙なバランスで成り立ってる。まぁ、人生を神ゲーと捉えるか、クソゲーと捉えるかはあなた次第。

プロトタイプの「マサキの部屋」は今思えば、自分のエピソードが中心だったので、文にはそこまで気を使わずに流れでなんとなく読めてしまうものだった。現在の私の文が上手い・下手ということではないが(日々精進していきたい)、今ここで書いているような文は「マサキの部屋」を始めた当初には書けなかった。

正史としての「マサキの部屋」

コンセプトの決まっていないプロトタイプ「マサキの部屋」は確かに自分の中では手応えと充実感はあったが、果たして結果を出せるブログなのかという疑問が次第に生まれはじめた。それにコンセプトを決めていないため、書いている記事の内容もバラバラである。結果を出そうとするブログとしてはいかがなものか?

勿論、ブログを始めたばかりなので最初から上手くはずはないし、あれをやったり、これをやったりと試行錯誤しながら継続するのが当然であるが。

ならば、ここは方向転換をしてコンセプトを決めたブログを新たに始めようと思った。

ここで重要なのはブログのコンセプトを何にするかである。

ブログはさまざまなコンセプトの元、運営されているが、これなら自分は語れるジャンルと思うものを一体なにかと考えた。

そして考えた結果、刑事ドラマの特捜最前線や古い特撮なら語れると思ったのだ。

学生時代は特捜最前線や特撮のサイトを読み漁っていた。あまり本気ではなかったが自分もそのようなサイトを開設してみたいなという憧れを抱いていた。

記念すべき新生「マサキの部屋」の第1回の記事は特捜最前線 第369話「兜町・コンピュータよ、演歌を歌え!」に見る現代の問題 - マサキの部屋だ。

記事を書くにあたってなるべく、他のサイトの記事は読まないようした。参考程度だとしても、文の内容が他のサイトの方が書いた文に引っ張られて自分の文ではなくなってしまうからだ。自分の文でなければ、このブログをやっていても意味がない(どうしてもカブってしまうことはある)。当初はあらすじを長々と書いていたが、それはあまり良くないことが分かり、感想を中心とした内容にシフト、現在の「マサキの部屋」のスタイルが築かれたのだ。

記念すべき第1回の記事を特捜最前線の「兜町」としたのは、物語のテーマが現代に通じるというか、まさに現代の問題であるからだ。

自分としては「兜町」と人口知能とネットなどを繋げることができて第1回目の記事としては相応しい内容になったと思う。

だが、記事を書き終えるのに相当苦労した。プロトタイプ「マサキの部屋」の文は先程述べた通りだが、新生「マサキの部屋」は映画・ドラマ・特撮=物語を扱っている。物語を扱うという性質上、説明的かつ正確な内容の文にしなければならない。これは本当に大変だった。まさに国語である。私は国語が好きだったからこそ、悪戦苦闘しながらも拙い文であるが、読んでいただける形にはなんとかなったと思う。本当に脳が爆発するかと思ったくらい大変だった。

でも人間とは不思議なもので慣れてくると、スラスラとそれなりに書けるようになってくるのである。

私にとって記念すべき第1回目の記事「兜町」は「仮面ライダー」でいえば、第1話のショッカーの怪人・蜘蛛男のような存在である。蜘蛛男は「仮面ライダー」のショッカーの怪人という異形の存在を初めて見る視聴者に植え付けながらその世界観を象徴し、その後のライダーシリーズの第1話の怪人が蜘蛛がモチーフという、ひとつの指標にもなった(例外あり)。だから「兜町」の記事も「マサキの部屋」はこのような路線であると提示しつつ、その後の記事の指標にもなっているのだ。

病気がくれた可能性

私は潰瘍性大腸炎と診断されている。潰瘍性大腸炎は簡単に説明すると大腸が炎症を起こし、血便や腹痛の症状が出る指定難病で、原因は不明である。

2017年の10月に潰瘍性大腸炎の下血によって倒れて入院することになったのだが、2017年は何事にやる気に満ちていた反面、全てのことが空回りしまくった。

2017年にアルバイトで働いた職場では、潰瘍性大腸炎に伴う腹痛や頭痛、足の炎症の痛みで身も心もボロボロにされた。たとえアルバイトであろうと、そう簡単には辞めたなかったので、まるでスラムダンクの炎の男・三井寿のごとく、「負けねぇ、負けねぇぞ・・・。」と自分を奮い立たせていてはいたが、結局無理なものは無理だ。なにせ自分の身体の内側から悲鳴をあげているのだから。

正直、診断を受ける前まで潰瘍性大腸炎なんて名前は聞いたことがなかったし、自分が難病だと誰が思うだろうか?しかも自分の人生はこれからだというのに・・・。

まぁ、なってしまったのは仕方ないのだが。

入院当初は足の腫れのせいで歩行が困難になり車椅子で生活したり、下血のせいで貧血気味、さらには夜は高熱で寝付けなかったりと、自分の人生史上最悪な状態であったが、不思議と前向きだった。特捜最前線で「どん底で開き直った悪」みたいなセリフがあったが、まさにそのメンタリティだった。

潰瘍性大腸炎で入院すると最低でも1ヶ月はかかるので、この退屈な生活をどう過ごすかを考えた。

よく考えみればこれはチャンスである。確かに入院はしてるし、やることはない。でもやることなんて自分で見つければいい。「暇だ、暇だ」と嘆きながら過ごしてしまうのは本当にもったいない。

悲しい現実をなげくよりは

今 何ができるかを考えよう

「Today is another day」

作詞:坂井泉水 作曲:織田哲郎 編曲:池田大介

ZARD

その通りである。

そこで閃いた!!

そうだ、本を読もう!!

考える力が身につく哲学入門 (中経出版)

考える力が身につく哲学入門 (中経出版)

 
「感情」から書く脚本術  心を奪って釘づけにする物語の書き方

「感情」から書く脚本術 心を奪って釘づけにする物語の書き方

 
論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)

 

その他にも何冊か読んだが、入院中に読んだ本の中で特にこれらが自分の人生に影響を与えた本たちである。

「「感情」から書く脚本術」だけは入院直前に読んだ本ではあったが、改めて読み直したいと思ったから入院中にも読んだ。なぜこの本を手にしたかというと、本屋でこの本のタイトルがやたらと目に付いたからである。それは触覚にビンビンくるというヤツだ。脚本家になりたい訳ではないけど、今後役に立つかもしれない。そんな気がしたのだ。

そもそも、私は学生時代は物語を書いていたが、それは特捜最前線的なしっかりとしたストーリーを書いてみたいという憧れもあった。だが、特捜最前線的なストーリーを書くには相当な知識や経験がないと書くことはできない。それは憧れのまま終わった。

私が倒れる直前、その時期のことはあまりよく覚えていないのだが、自分の中で根拠の無い無限の可能性ようなものを感じた。魂が何か、進むべき道を導いている感じ。ここは改めて自分のやりたかったものの原点に立ち返ってみようと思った。私はスピリチュアルやオカルト(オカルトはコンテンツとしては好き)は全く信じないが、この体験だけはかなり気に入っている。極限状態の脳の錯覚だとしても、その体験が出来たからそれでいい。だからこそ、「「感情」から書く脚本術」が目についたのだと思う。そしてこの本のおかげで映画・映像作品の見方が変わり、作品の理解力が読む前とは格段に上がった。かと言って完璧な理解力など身についてはいない。自分が完璧に理解してると思うのは「無知の知」ではないし、学び続けなければならないのだ。

なんだかんだでそれが現在の「マサキの部屋」に繋がっている。

自分でもよく分からない方向で、点と線が繋がった人生ではある。

今日はゾウ 明日はライオンってな具合に

心はいつだって捕らえようがなくて

そんでもって自由だ

「I'LL BE」

作詞・作曲:桜井和寿

Mr.Children

明日は誰にも分からないから、心だって同じだ。

等ブログでMr.Children「Tomorrow never knows」について - マサキの部屋の記事を書いたが、これも2017年の話エピソードである。

プロトタイプの「マサキの部屋」を追憶しつつ、現在の「マサキの部屋」を振り返るのは、言ってしまえば自己満足であるが、私がここまで続けることができたのは読んでいただけているからである。だからこそ、これからも続けていきたい。今後は等ブログと並行して、創作物を中心としたブログ「マサキの実験室(仮)」を立ち上げることを予定している。時期はまだ未定だが。

最後にプロトタイプの「マサキの部屋」で使っていた表現を使って今回の記事を締めたい。

マサキの部屋」はサカモト・マサキというホモ・サピエンスの存在の証明である。それは古代の人類が壁に絵を描いたように、生きていたことをここで主張しているのである。

サカモト・マサキ (@unadultymovie) | Twitter