マサキの部屋

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「ランボー」について

過去の記事なぜ、ブログ「マサキの部屋」をはじめたのか? - マサキの部屋の約束通り、今回は映画「ランボー」についての記事である。

ランボー」はシリーズ作品であり、誰もがその名を一度は耳にしたことがあると思う。今年9月22日には最新作かつ完結編が全米で公開される。さらには亜流やパロディ作品などが存在し、 比喩表現としても「ランボー」が用いられ、様々な作品に影響を与えている。

今回はランボーシリーズの第1作について語りたい。

ランボー

監督:テッド・コッチェフ

脚本:マイケル・コゾル、ウィリアム・サックハイム、シルヴェスタ・スタローン

原作はデヴィッド・マレル氏の小説「一人だけの軍隊」。

原題は「FIRST BLOOD」。FIRST BLOODは先に手を出したとか、先制攻撃とかそんなニュアンスである。

本作の映画化に関してはいくつかの映画会社で放映権が移るという紆余曲折を経て、最終的にカロルコ・ピクチャーズにて制作された。

主演はもはや説明するまでもないが、シルヴェスター・スタローン氏。本作はスタローン氏の代表作であり、劇中のスタントの大半も本人がこなしている。崖から木に落下するシーンでは肋骨などを数カ所骨折したらしく、作中から伝わるアクションと痛みまさにホンモノだ。共同で脚本もスタローン氏が執筆している。

パロディや比喩表現のイメージの「ランボー」が独り歩きして、第1作を見る以前はスタローン氏のライバルのアーノルド・シュワルツェネッガー氏の主演作「コマンドー」的な作品だと思っていたが、実際は違う。特に第1作の「ランボー」は暗く、重い。それにヒロインも存在しない。ベトナム帰還兵の主人公ランボーの孤独な戦いが描かれる。

あらすじ

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ランボーは戦友を訪ねるが、その戦友はすでに病死していた。その足で町へ向かうと、警官ディーズルに不当に逮捕されてしまう。署に連行されたランボーは警官達から理不尽な扱いを受け、ベトナム戦争の陰惨な記憶が蘇る。ランボーは発作的に警官達に反撃し、森に逃げ込む。かくしてランボーの一人だけの戦争がはじまった・・・。

孤独な終わりなき戦い

冒頭、ランボーベトナム戦争の戦友の家を訪ねるが、その母親から息子は化学兵器の影響によってガンを患い、死亡したと告げられる。開始早々からかなり暗い。

戦友の死を告げられる前にランボーは、母親に戦友との想い出を笑顔を交えて無邪気に話していたが、戦友の死を知らせられた瞬間、ランボーから一切の笑顔が消える。

本作のテーマはWikipediaから言葉を借りると、「戦争の傷」である。主人公ランボーも過酷な戦争経験からPTSD心的外傷後ストレス障害を患っている。

PTSDは自然災害、事故、戦争、暴力などが原因となり発症する精神疾患である。精神的に苦痛な体験や強いストレスによってその体験がフラッシュバックしたり、不安・緊張が続く、また、目まい、不眠などの症状があるという。

あの名作映画「タクシードライバー」の主人公トラヴィス(演:ロバート・デニーロ氏)も「ランボー」と同じベトナム帰還兵であり、不眠症を患っている。

原作者のマレル氏はベトナム帰還兵の体験談を元に小説「一人だけの軍隊」を執筆。PTSDを患った帰還兵もたくさんいたようだ。当時、帰還兵達は世間から非難を浴びていた。

ランボーを追い込んだ警官ディーズル(演:ブライアン・デネヒー氏)はかなりの頑固者だが、町の住民や警察官達と上手くやっている。ディーズルはランボーに「人に好かれる気はないのか?」と言った。人に囲まれているディーズルにとってランボーはただの不審者にすぎなかったのだ。

 警察や州兵から追われる身となるランボー。だがランボーは元グリーンベレーでゲリラ戦のプロであり、サバイバルナイフと森の地形を利用して追っ手を退ける。しまいには機関銃M60を奪い、ディーズルの町へ逃げ込む。そして体に銃弾帯を巻きつけたランボーはM60で町を破壊する。

ランボーは追われる身となった瞬間、完全にこの世の中の居場所をなくしたと言っていい。先に向こうが仕掛けた戦いでも所詮、ランボーの戦いは虚しい反逆でしかなかく、その先に明日はない。

そこにランボーを育てた元上官・トラウトマン大佐が説得しにやって来る。トラウトマンはナイスミドルで実に魅力的な人物だ。

警官の投降の呼びかけには一切反応しないランボーもトラウトマンの呼びかけには無線越しでその重い口を開く。戦友を亡くしたランボーにとってトラウトマンがこの世で唯一の理解者であった。トラウトマンはランボーを追うことに執念を燃やすディーズルに、ランボーがいかに危険な戦闘マシンかを再三に渡り警告する。だが、ディーズルには警告は聞き入れられなかった。

本作の見所はド派手なアクションもそうだが、ラストのトラウトマンの説得シーンこそ、最大の見所と言ってもいいだろう。

トラウトマンとついに対面するランボー。トラウトマンはランボーに「包囲されている。逃げられない。もう任務は終わったんだ。」と言う。それに対してランボーはトラウトマンを指をさして言った。

「Nothing is over! Nothing!

(何も終わっちゃいないんだ!)」

ランボー」より

帰国すれば非難され、その上仕事も無い。仲間は戦場で亡くし、堪え難い悪夢が今でもずっと続いている・・・。

本作はアクション映画だが、敵を倒すために戦うのではなく、社会に抑圧された主人公が暴れ回るのである。だから、破壊行為の発端が主人公の心の傷なのだ。本作はアクション映画でありながら感情に訴える映画で、その部分が作品としての評価を上げている。ランボーシリーズで一番評価が高いのは第1作の本作である。

彼は僕自身の負の部分だ

ランボーの素顔」より

本作のBDの映像特典の「ランボーの素顔」でスタローン氏がそう語っている。スタローン氏のもうひとつの代表作の「ロッキー」は自身の境遇と重ね合わせたストーリーであるが、本作は栄光に向かっていくのではなく、ひたすら虚しい方向に向かう。また、シュワルツェネッガー氏の超人的な「コマンドー」と比べてみても、「ランボー」は人間臭く、弱さを持ち合わせている。だがらこそランボーは感情移入できるキャラクターなのだ。

そしてテーマ曲「It's a Long Road」は後のシリーズを予期するかのようにランボーの戦いはこれからも続くのであった・・・。

消耗品=どうでもいい人間

ランボーは次回作「ランボー 怒りの脱出(FIRST BLOOD PART Ⅱ)」で過去を振り返った時、自身のことをこう形容した。

消耗品(Expendable)。

そう、聞き覚えのある単語であろう。

さらにランボーは続ける。

「パーティに欠席してそれを誰にも気づかれない人間 どうでもいい人間だ」

ランボー 怒りの脱出」より

このセリフが心に残った。

第1作の「ランボー」の戦いは俗世間から外れた人間の"心の中の戦い"、つまり、孤独な人間の心の中と凄く似ていると思うのだ。ディーズルは頑固者だが町の人間と上手くやっている。そのディーズルに追い込まれたランボーは森に籠城して追っ手を退ける。この世界から居場所をなくしたランボーはたったひとり、孤独になったのだ。

孤独な人間は人間社会で上手くやっていけない。上手くやるには人に好かれたり、周りの人間と良好な関係を築かねばならない。孤独な人間は繊細で、器用に生きられない。だから自分の世界に籠城し、なるべく周りとの接触を避けるのだ。そしていつの間にかにその存在が忘れられている。

ランボーの境遇は違えど、心境的には共感出来る部分があると思う。著名人達はよく友達は要らないというキャッチーで極論じみたことを言うが(内容、発言の前後が切り取られてる場合がある)、人間として生きる以上、友達・知人を通して自分の存在を証明したいものだ。誰かに必要とされるということは本当に大事である。しかし、それが出来ずに孤独を選んだものの、結局は人を求めてしまうというヤマアラシのジレンマ。

戦友を探しに来てその死を知らされ、さらにこの世の居場所を完全に失ったランボー。やはり人間は一人で孤独に生きていくのは難しいのだ。友達は数が多ければ多いほどいいわけではないが、全くいないのはかなり辛い。だからこそ、数人の友達を大事にしていくべきである。

だって、友達と一緒に盛り上がれれば笑い合えれば自分の人生は楽しいと思えるではないか?

 

【参考資料】

ランボー Wikipedia

タクシードライバー Wikipedia

ランボー Blu-ray 映像特典 ドキュメント 「ランボーの素顔」

PTSD|病名から知る|こころの病気を知る|メンタルヘルス|厚生労働省

 

サカモト・マサキ (@unadultymovie) | Twitter

君の名は蘭花!!ダイヤモンド・アイについて

前回の記事 前世魔人の正体見たり! !ダイヤモンド・アイについて - マサキの部屋

本当は記事を前後に分けるつもりはなかったが、思いのほか長くなってしまい、仕方なしに分けることにした。前後に分けたことにより、後半の「ダイヤモンド・アイ」についてたっぷりと語ることができる。まさしく怪我の功名だろう。

レインボーマン ダイヤモンド・アイ コンドールマン大全(岩佐陽一 編 双葉社)」の本作の関係者のインタビューによると、後半には視聴率を上げるためのテコ入れとして新たなキャラクターが登場する。そのキャラクターの登場により、本作は前半とは違った魅力を放つことになる。前半は後半と比べると地味な印象は否めないが、だからといって前半が面白くないのかというとそれは違う。前半で築いた世界観があるからこそ、後半が成立するのだ。

後半ではOP・EDの映像を一新。前世魔人一味を大きくフューチャーした派手なものになった。それに伴ってか、前世魔人の作戦もハリケーン作戦という水面下のものから、頭脳改造作戦という実力行使のものに切り替わっていく。

後半の「ダイヤモンド・アイ」

前半の最終話でダイヤモンド・アイはキングコブラを退いたが、完全に倒すまでには至らなかった。

一方、キングコブラは悪霊界に逃げ帰ったものの、アイによって受けた傷が深く治療に専念しなければならなかった。キングコング娘の蘭花=ヒメコブラをパリから日本に呼び寄せ、前世魔人の代理の指揮官とした(第14話)。

蘭花は小手調べとしてか、父親の敵ライコウに素性を明かさず接近する。

蘭花ライコウは出会った時点でお互いに惹かれ合う「DAN DAN心魅かれてく」のではなく、出会った時点でお互いがお互いに惹かれている。

そう、蘭花の登場により、本作は恋愛路線となったのだ!!蘭花ライコウ、敵と味方に別れた二人のロミオとジュリエット的なラブストーリーを1クールを通してじっくり描いていく。

後半の路線を蘭花に吹っ切ったのは英断といえよう。蘭花は本作に"華"を添えた上に番組の最大の魅力となった。特撮番組でがっつりとした恋愛路線はなかなか珍しい。

実戦経験のない蘭花をサポートするために、キルト=前世魔人オニカブトン(演:片岡五郎氏)が登場。キルトは残忍で嫌味ったらしい性格だが、傷ついた前世魔人の治療を行うなど、前世魔人一味の中で非常に重要なポジションである。さらに冷酷な性格の魔倫(演:吉田未来氏)=ケロキャットも同じくサポート役として登場。二人は蘭花に振り回されながらも、サポート役に徹する。

前半では毎回登場していた源海龍はストーリーの都合上、出番が少なくなる。だが、要所要所で登場しては前世魔人の王としての貫禄を見せつける。さらに蘭花の父親という一面が加わり、前半よりも存在感が増したといえる。

前世魔人一味の頭脳改造作戦は普通の人間を洗脳装置によって自らの手駒として悪事を働かせるのだが、洗脳された人間を元に戻す手段として、アイの怨霊逃散洗礼光線が活躍する。怨霊逃散洗礼光線は前世魔人の魔力から人を救う能力があり、前半から使われていた。

二人の恋愛模様

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ライコウは真っ直ぐな男だ。変に気取ったり、スカしたり、ドSとかそんなタイプではない。だからこそ素直に応援したくなる。ライコウには下心のような邪な感情はない。ただ純粋に好きなだけ。そしてライコウ蘭花に対するアプローチはド直球である。駆け引きがどうのこうのではないのだ。

ヒロイン蘭花は父親・源海龍の娘=前世魔人の指揮官としてライコウと敵対しなければならない宿命である。蘭花は悲しみながら自らに課せられたを宿命を全うすることを決意する。

だが、蘭花は優しい性格であり、悪としての素質は皆無と言っていい。ライコウの母親(演:菅井きん氏)を人質に取りながら、アイの弱点をつく作戦を「汚い!」と一蹴し、作中を通して誰も殺すことはなかった。ライコウと敵対しても、ライコウの説得で蘭花は善悪の間で心が揺れ、それは前世魔人ヒメコブラの姿になって変わらなかった。蘭花は葛藤を抱えつつも前世魔人の指揮官として気丈に振る舞おうとする。

蘭花の母親はこの世にはもう存在していない。蘭花のセリフによると、母親は蘭花を産むと同時に亡くなったという。蘭花は母親に対する憧れが強く、だから前述のライコウの母親を人質に取る作戦には強く反対したのだろう。

劇中では蘭花の母親が前世魔人か、人間であったのかは不明で、人間であったと解釈できなくもないが、母親に関する情報が「優しい」というだけなので判断するのが難しい。源海龍はその辺のことについてはいっさい語ってくれない。

とにかく、蘭花は母親の「優しさ」を受け継いだのは確かであり、蘭花の「優しさ」については部下の前世魔人達も認識している。

蘭花を演じたの隅田和世氏。

イナズマンF」第36話「美しいサイボーグ!暁に分身す!!」のあけみ=サイレンサーデスパー役や「キカイダー01」のリエコ役など、昭和の特撮ファンには有名である。

隅田和世氏は上品な顔立ちであるが、どこか儚さを感じさせる。凛としつつ、時に見せる戸惑いの表情は観ているこちらのハートを鷲掴みにしてくる。ライコウが死んだと誤解した時には複雑な表情を浮かべるなど、随所にキュンとする。

蘭花=前世魔人ヒメコブラは全身が蛇の鱗で覆われ、右手からコブラの頭が突き出しており、そのコブラの頭で敵を幻惑する。顔は前世魔人には珍しく人間に近い。髪は白よりの金髪で口から牙を生やしている。ヒメコブラの顔は蘭花を演じた隅田和世氏を彷彿とさせる造形である。やはり、この点から見ても蘭花=ヒメコブラは特別に力を入れたキャラクターであることが分かる。

ライコウの言葉に自らの悪事に対して躊躇する、悪人になりきれないヒロイン・蘭花

そんな蘭花を悪の道から救えるならば、なんとか救い出したいライコウ

ライコウ守護神アイに言った。「蘭花も前世魔人のキングコブラの娘として生まれてなければこんなことには・・・。」と。

ライコウは悪の道から救済する方法をとして、蘭花怨霊逃散洗礼光線を浴びせることをアイに提案する。だが、そう単純な問題ではないのだ。

アイ曰く、蘭花自身が悪の道、キングコブラとの全ての縁(えにし)を断ち切る強い意思がなければ、怨霊逃散洗礼光線を浴びせても意味がないという。

そしてアイは蘭花が邪悪な意思を持ち、自らの前に立ち塞がるのであれば容赦なく倒すと宣言。他の前世魔人が身代わりとなったためことなきを得たが、アイはヒメコブラに必殺のロイヤルパンチを放ったことがある。

一応、アイはライコウ蘭花を救おうとしていることに理解は示すが、戦いの中でチャンスがあればあくまで倒すというスタンスである。

王の帰還

最終決戦に近づき、前世魔人の王キングコブラ=源海龍が治療を終えて戦線復帰する。

源海龍

「人間どもの持つ醜い欲望や不正や力の強いものが弱いものを虐げるなどという悪の心がなくならない限り、我々もまた永遠に滅びることはない。」

第26話(最終回)「キングコブラ大決戦」脚本:伊藤恒久 監督:山田 健

これは娘・蘭花に向けたセリフだが後のコンドールマンのモンスター一族に通じているような気がする。

悪人になりきれない蘭花と違って大悪人の源海龍は人質を使い、ライコウ達を捕らえることに成功。アイを窮地に追い込む。手出しできないアイを目前に、生意気な人間ども=ライコウ達の処刑を行うと宣言。それに対してライコウは言った。「どうせ殺されるなら、あんたの娘の蘭花に殺されたい」と。それを聞いたヒメコブラの姿の蘭花は激しく動揺する。

そう、ヒメコブラの姿でもライコウ蘭花と呼んだのだ!!

君の前前前世から僕は君を探しはじめたよ

前前前世

作詞・作曲:野田洋次郎

RADWIMPS

まさに"君の名は蘭花"だ(厳密には"ZEN ZEN"違うけど)

特撮番組では1話限りの恋、女性怪人とヒーローの恋愛が描かれることが多々ある。ラストは女性怪人が改心して殺されるなど基本的に悲恋で終わる。本作もそれと同様のプロットではあるが、1クールを使って恋愛模様をじっくりと描いたことにより、ラストの感動は大きい。

本作は昭和の作品なので荒削りな部分は否めないが、本作の持つ熱さはどの作品よりも抜きん出ている。たしかに本作は非現実の世界の恋愛ドラマで、現実の恋愛なんて上手くいかねぇよと思っても、ライコウの真っ直ぐな想いを見て優しい気持ちになれるかもしれない。なんだかんだで、愛の本質はそういうもんじゃないのだろうか?愛する女性のために頑張る男はやはりカッコいい。

ふと思うのだが「ダイヤモンド・アイ」の最終回のEDで善悪引っくるめて、みんなで恋ダンス的なことしてたら面白い。あっ、そう言えばコンドールマンの怪人ゼニクレージー星野源氏と共演してたな・・・。

 

ダイヤモンド・アイVOL.3 [DVD]

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ダイヤモンド・アイVOL.4 [DVD]

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【参考資料】

レインボーマン ダイヤモンド・アイ コンドールマン大全(岩佐陽一 編 双葉社)

イナズマン大全 イナズマン イナズマンFの世界 岩佐陽一 編 (双葉社)

ダイヤモンド・アイ DVD Vol.1 封入特典:解説書

ダイヤモンド・アイ DVD Vol.2 封入特典:伊藤恒久インタビュー

ダイヤモンド・アイ Wikipedia

 

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前世魔人の正体見たり! !ダイヤモンド・アイについて

君の前前前世から僕は君を探しはじめたよ

前前前世

作詞・作曲:野田洋次郎

RADWIMPS

2016年に公開され、大ヒットを記録した「君の名は。」(東宝)の主題歌であり、日本中の誰もが一度は耳にしたことのあるワンフレーズであろう。

特撮というジャンルは基本的にヒーローと怪人(怪獣)の戦いが描かれるが、星の数ほど存在する特撮番組では怪人にも様々な名称があったりする。その中でも一際、目を引くのが「ダイヤモンド・アイ」に登場する悪の一味・前世魔人。

前世魔人というワードはかなりのインパクトがあり、「前世魔人とは一体なんだ?」と非常に興味をそそる。

今回はその「ダイヤモンド・アイ」について語っていきたい。

「ダイヤモンド・アイ」は1973年10月5日〜74年3月29日(全26話)まで毎週月曜日19:00〜19:30、NET系(現:テレビ朝日)で放送されていた。製作は東宝・NETで、原作はあの川内康範氏。等ブログで扱った「レインボーマン」(東宝)と「コンドールマン」(東映)、そして本作「ダイヤモンド・アイ」は川内ヒーロー三部作とされる。本作は「レインボーマン」の後番組であり、三部作の二番目に当たる。本作の脚本は伊藤恒久氏。伊藤恒久氏は前作「レインボーマン」と「コンドールマン」を担当しており、三部作全てを担当している。

特撮といえば東宝のイメージが強いが、それは「ゴジラシリーズ」というネームバリューを築いたからである。「ゴジラ」は日本の国民的怪獣として愛され、今や日本を超えて世界の怪獣となっている。これは個人的見解になるが、特撮映画において"最高品質"の東宝はテレビシリーズの特撮になると途端に曲者感が強くなる。本作もその例に漏れないだろう。やはりテレビシリーズの特撮のスタンダードは東映で、東宝のテレビシリーズはその数も少ない。だが、数は少ないとしても曲者の作品達の独自の魅力は凄まじいものがある。

本作のコンセプトを変身ではなく、献身ものとし、独自の路線を追求。主人公ライコウがダイヤモンド・アイに変身するのではなく、ダイヤモンド・アイという全能の神の遣いである守護者と共に正義のために献身する物語なのだ。独自の路線の追求はコンセプトだけでなく、特撮・アクションシーンでもそうであり、試行錯誤の跡がうかがえる。

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正義のために献身する者達と神の遣いダイヤモンド・アイ

ライコウ(演:大浜詩郎氏)

本名は雷 甲太郎。職業はルポライターで、愛車のバイク・サンダー号に乗り悪を追う。基本的にどんなにことにも猪突猛進のザ・体育会系の男である。格闘能力・身体能力共に高い。

ライコウを形容する表現として「ペンはオレの刀だ」があるが、劇中で文書を書いてる描写はいっさい存在しない。彼の書いた記事は一体どのようなものかは非常に気になるところで、一度でいいから読んでみたい。

ライコウは当初、経済界の黒幕・大沢山(演:神田隆氏)の脱税疑惑を追っていたが、来日した香港暗黒街の王・源海龍(演:南原宏治氏)と大沢山が結びつく。源海龍は大沢山を凌ぐ存在であるが、それはあくまで人間の姿であり、真の姿はキングコブラという前世魔人の王である。源海龍によりピンチに陥ったライコウはダイヤモンドから出現したアイにピンチを救われる。アイに自らを呼び出すアイリングを"友情の証"として授かったライコウは正義のために献身していく。

ライコウにはアイの他に仲間がいる。それはカボ子(演:黒沢のり子氏)と五郎(演:福田悟氏)。

カボ子はトランプの扱いに長け、占い、マジック、投げなど器用にこなす。カボ子のトランプ占いはかなりの的中率を誇り、その後の展開を視聴者に期待させるための大事な役割を担っている。また、トランプ投げによってライコウのピンチを救うこともたびたびあった。

五郎はふくよかな体型の気の良い青年で、ライコウを先輩と慕い、その助手として活躍する。

ライコウは前作「レインボーマン」の主人公ヤマトタケシと比べるとかなりの熱血漢である。さらには孤独な戦いではなく仲間と共に戦うという、全体的に陽の主人公として描かれた。ヤマトタケシは根が暗いわけではないが、やはり使命の十字架で苦悩する部分が陰を感じさせる。ライコウ役の大浜詩郎氏は「レインボーマン ダイヤモンド・アイ コンドールマン大全」(岩佐陽一 編 双葉社)のインタビューによると、「レインボーマン」のオーディションを受けていたという。仮にヤマトタケシを大浜氏が演じていたのなら、違う魅力を持ったヤマトタケシが誕生していたに違いない。

ダイヤモンド・アイ(声:第1〜7話 池水通洋氏、第8〜26話 野田圭一氏)

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アイは神が遣わせたブルーダイヤ=アラビア王の精で、この世の悪を全て退治しない限り、元のダイヤモンドには戻れないという途方もない宿命を背負っている。そんなアイは前述の通り、ライコウの守護者という役割で人間では倒せぬ敵・前世魔人を倒すためにアイリングからライコウに召喚される。

アイはダイヤモンドのついたステッキを駆使して前世魔人と戦う。ステッキの先端は鋭く尖っており、剣としても使用する。

特にステッキのダイヤモンドを放つ、必殺のロイヤルパンチは強力で、どんな前世魔人を必ず倒すことができる。

アイは神が遣わせたヒーローということで無敵そうなイメージがあるが、戦闘能力の殆どがステッキのため、ステッキを奪われると防戦一方になり、戦闘員クラスの前世魔人にすらまともに戦えなくなってしまう。また、光がないと力を発揮できなかったり、逆に強い光が苦手などの弱点が多々存在する。そして、弱点を突かれてピンチに陥ったアイが逆にライコウによって救われることもある。そう、アイとライコウは共に力を合わせて闘っているのだ。

アイの両目からから放たれる外道照身霊波光線は人間の姿をした前世魔人の正体を暴くことができる。

アイに正体を暴かれた前世魔人達は「ばぁれたかぁ〜!」と言うのがお決まりとなっている。

前世魔人

前世魔人は普段は人間の姿をしている。源海龍の部下の前世魔人は基本的に殺し屋である。

前作「レインボーマン」とは違い、本作は毎回怪人=前世魔人が登場するが数種類の前世魔人がローテーションという形で登場する。

・モージンガー

・サタンバット 

・ヒトデツボ

・ケラリン

・ワレアタマ

・ゲララチン

・ケロキャット

彼らはひとつの種族であり、倒されても別人という形で再登場してくる。その際、着ぐるみにマイナーチェンジなどはない。安上がりという見方もあるかもしれないが、逆にそれがユニークだと思う。

源海龍=キングコブラ(演:南原宏治氏)

表向きは貿易商だが、実はアジア征服を目論む香港暗黒街の王で、13の顔を持つと言われている変装の名人でもある。非常に残忍な性格。

スイスの国立銀行から世界一のブルーダイヤ=アラビアの王を盗み出している。

渋くクールな魅力の源海龍だが、キングコブラになると途端にテンションの高い、コミカルなキャラクターになる。源海龍とキングコブラのギャップが凄まじい。

アイが出現すると、部下に任せて自分はすぐさま前世魔人の本拠地・悪霊界に逃げ帰るが、いざとなるとかなりの実力を発揮する。やはり部下の前世魔人との格の違いを見せつける。

源海龍=キングコブラを演じた南原宏治氏は悪役俳優で、前世魔人の王には相応しい存在である。源海龍とキングコブラのギャップについて触れたが、たまにコミカルな部分を見せるのも南原氏の魅力のひとつであろう。また、源海龍として変装した際の演技も必見である。

正直、劇中では前世魔人についてハッキリとした説明がない。セリフ等で断片な事は分かるが、どのような解釈をしていいのか難しい。

本作のDVD Vol.1の解説書とVol.2の封入特典の伊藤恒久インタビューに前世魔人について触れてあったのでその一部を引用したい。

献身ヒーロー、ダイヤモンド・アイに対するのは、前世が魔人だった悪人たち。前述の記事の中で(読売新聞73年7月20日付のてれび街のコラム)原作の川内康範の「悪事を働く人間は、前世において、人間にも十二支の動物にもなれなかったチミモウリョウの化け物であり、主人公にダイヤが献身することは、美しい心の人間は心にダイヤをちりばめているという仏教思想をとりいれた」というコメントが紹介されている。

ダイヤモンド・アイ DVD Vol.1 解説書より

ー"前世魔人"というユニークな悪役が登場しますね

伊藤  人間の持っている欲望について描きたかったので、前世魔人を考えました。本作に出てくる悪役は、前世が悪かったんです。金の亡者でお金に狂って死んで、お金にとりつかれて魂も汚れている。醜いあくなき欲望、前世の執念に取り憑かれいるんです。そこで、ダイヤモンド・アイが前世の姿を明らかにして浄化し、あの世に封じ込めて返す。それが前世魔人の設定なんです。単に悪役を斬って捨てるというものとは違うんです。

ダイヤモンド・アイ DVD Vol.2 伊藤恒久インタビュー 文・構成:石井良和 より

本作に登場する悪人の全てが前世魔人という訳ではなく、大沢山のような大物でもあくまで人間のようだ。だが、大沢山の部下が前世魔人モージンガーだったりと、前世魔人についてはやはり謎が多い。

ストーリーライン

全26話の本作は前世魔人一味が前半1〜13話にハリケーン作戦、後半14〜26話では頭脳改造作戦を展開、それらをいかにアイとライコウ達が阻止するかが描かれる。

ハリケーン作戦は源海龍が資金源確保のため、不正を働いた政治家や実業家などにつけ込んで大金を巻き上げる作戦である。なので表立って悪事ではなく、水面下で行われるものだった。前作「レインボーマン」の死ね死ね団の作戦とは違い、派手なものではなくミニチュア等のメカニックも登場しなかった。

前述の「レインボーマン ダイヤモンド・アイ コンドールマン大全」(岩佐陽一 編 双葉社)で「レインボーマン」と本作の企画・プロデューサーの衛藤公彦氏と脚本家の伊藤恒久氏のインタビューではやはり、本作は子供には分かりにくい部分があったと振り返っている。複雑なストーリーの中に「利権」などの小難しいワードも登場。

ライコウと大沢山の娘・京子(演:青木英美氏)のやりとりもハリケーン作戦と並行して描かれた。さらに京子は悪人である父親との葛藤を抱えていたり、複雑な人間ドラマでもあった。

非常に見応えがあるが、初見で全てを把握するのは難しい。

だが、独自の路線の追求によって本作はオンリーワンの輝きを放っている。

後半になると「ダイヤモンド・アイ」の雰囲気が変わる。その雰囲気は実に"華やか"で「ダイヤモンド・アイ」の最大の魅力でもあるのだ。

ここまで書いたが、かなり長くなってしまったのでいったん区切りをつけたい。後半については次回で語る!!

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【参考資料】

レインボーマン ダイヤモンド・アイ コンドールマン大全(岩佐陽一 編 双葉社)

ダイヤモンド・アイ DVD Vol.1 封入特典:解説書

ダイヤモンド・アイ DVD Vol.2 封入特典:伊藤恒久インタビュー

ダイヤモンド・アイ Wikipedia

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サカモト・マサキ (@unadultymovie) | Twitter

なぜ、ブログ「マサキの部屋」をはじめたのか?

等ブログ「マサキの部屋」を開設してあと少しで1年になります。ということで、今回は「マサキの部屋」を開設した理由・背景等を語っていきたいと思います。たまにはこんな感じの記事があっていいなと個人的には思うので。

プロトタイプ"マサキの部屋"

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前回の記事で触れた通り、元々「マサキの部屋」はコンセプトを決めていないプロトタイプバージョンを2018年の1月頃から数ヶ月間だけ開設していた(現在は削除)。

現在、新しく生まれ変わった「マサキの部屋」は映画・ドラマ・特撮、その他諸々について語るということをコンセプトとしているが、今のところ映画とドラマ(特捜最前線しかない)の記事は圧倒的に少ない。これからは増やしていく予定なので暖かく見守ってやってください。お願いします。

数ヶ月間だけであるが試験的にブログを更新するなかで、閲覧数はともかく、一つの記事を書き終えるということに"自分の中での手応え"と充実感があった。

学生時代はロクに勉強もせず、漫画や簡単なSS風の物語を書いていた。それは全て手書きというアナクロで、不特定多数の人に見せることはせず、読んでいただくのは身の回りの人=特定の人達であった。完成したものより描きおえずに放置したものの方が多く、自分は物事が続かない人間だと痛感していた。だが、ブログというデジタルは不特定多数に人に読んでいただくものであるし、ケータイがあれば手軽にできる。その手軽さこそ、私がブログをはじめた一番の動機と継続できた要因であると思う。また、なんとなく勉強していた物語の書き方等のノウハウはブログの記事を書くなかで非常に参考になり、起承転結を意識することで記事の流れをイメージしやすく、記事の構想を練ることは苦ではなかった。

私は学生時代、ロクに勉強をしなかった人間である。勉強が出来なかった、やらなかったということは自分の中で劣等感になり、自分自身の可能性を狭めることに繋がってしまっていた。

それでも国語だけは好きだった。だからと言って点数は良かったわけではない。取れて平均点か、それより下。少なくとも国語で赤点を取ったことはないことは強調しておきたい。だがそれが巡り巡ってブログ「マサキの部屋」に繋がっていると思うと非常に感慨深いものがある。自分では自分の人生をクソだと思っても後々、案外悪くないなと思える瞬間が来るから、人生は絶妙なバランスで成り立ってる。まぁ、人生を神ゲーと捉えるか、クソゲーと捉えるかはあなた次第。

プロトタイプの「マサキの部屋」は今思えば、自分のエピソードが中心だったので、文にはそこまで気を使わずに流れでなんとなく読めてしまうものだった。現在の私の文が上手い・下手ということではないが(日々精進していきたい)、今ここで書いているような文は「マサキの部屋」を始めた当初には書けなかった。

正史としての「マサキの部屋」

コンセプトの決まっていないプロトタイプ「マサキの部屋」は確かに自分の中では手応えと充実感はあったが、果たして結果を出せるブログなのかという疑問が次第に生まれはじめた。それにコンセプトを決めていないため、書いている記事の内容もバラバラである。結果を出そうとするブログとしてはいかがなものか?

勿論、ブログを始めたばかりなので最初から上手くはずはないし、あれをやったり、これをやったりと試行錯誤しながら継続するのが当然であるが。

ならば、ここは方向転換をしてコンセプトを決めたブログを新たに始めようと思った。

ここで重要なのはブログのコンセプトを何にするかである。

ブログはさまざまなコンセプトの元、運営されているが、これなら自分は語れるジャンルと思うものを一体なにかと考えた。

そして考えた結果、刑事ドラマの特捜最前線や古い特撮なら語れると思ったのだ。

学生時代は特捜最前線や特撮のサイトを読み漁っていた。あまり本気ではなかったが自分もそのようなサイトを開設してみたいなという憧れを抱いていた。

記念すべき新生「マサキの部屋」の第1回の記事は特捜最前線 第369話「兜町・コンピュータよ、演歌を歌え!」に見る現代の問題 - マサキの部屋だ。

記事を書くにあたってなるべく、他のサイトの記事は読まないようした。参考程度だとしても、文の内容が他のサイトの方が書いた文に引っ張られて自分の文ではなくなってしまうからだ。自分の文でなければ、このブログをやっていても意味がない(どうしてもカブってしまうことはある)。当初はあらすじを長々と書いていたが、それはあまり良くないことが分かり、感想を中心とした内容にシフト、現在の「マサキの部屋」のスタイルが築かれたのだ。

記念すべき第1回の記事を特捜最前線の「兜町」としたのは、物語のテーマが現代に通じるというか、まさに現代の問題であるからだ。

自分としては「兜町」と人口知能とネットなどを繋げることができて第1回目の記事としては相応しい内容になったと思う。

だが、記事を書き終えるのに相当苦労した。プロトタイプ「マサキの部屋」の文は先程述べた通りだが、新生「マサキの部屋」は映画・ドラマ・特撮=物語を扱っている。物語を扱うという性質上、説明的かつ正確な内容の文にしなければならない。これは本当に大変だった。まさに国語である。私は国語が好きだったからこそ、悪戦苦闘しながらも拙い文であるが、読んでいただける形にはなんとかなったと思う。本当に脳が爆発するかと思ったくらい大変だった。

でも人間とは不思議なもので慣れてくると、スラスラとそれなりに書けるようになってくるのである。

私にとって記念すべき第1回目の記事「兜町」は「仮面ライダー」でいえば、第1話のショッカーの怪人・蜘蛛男のような存在である。蜘蛛男は「仮面ライダー」のショッカーの怪人という異形の存在を初めて見る視聴者に植え付けながらその世界観を象徴し、その後のライダーシリーズの第1話の怪人が蜘蛛がモチーフという、ひとつの指標にもなった(例外あり)。だから「兜町」の記事も「マサキの部屋」はこのような路線であると提示しつつ、その後の記事の指標にもなっているのだ。

病気がくれた可能性

私は潰瘍性大腸炎と診断されている。潰瘍性大腸炎は簡単に説明すると大腸が炎症を起こし、血便や腹痛の症状が出る指定難病で、原因は不明である。

2017年の10月に潰瘍性大腸炎の下血によって倒れて入院することになったのだが、2017年は何事にやる気に満ちていた反面、全てのことが空回りしまくった。

2017年にアルバイトで働いた職場では、潰瘍性大腸炎に伴う腹痛や頭痛、足の炎症の痛みで身も心もボロボロにされた。たとえアルバイトであろうと、そう簡単には辞めたなかったので、まるでスラムダンクの炎の男・三井寿のごとく、「負けねぇ、負けねぇぞ・・・。」と自分を奮い立たせていてはいたが、結局無理なものは無理だ。なにせ自分の身体の内側から悲鳴をあげているのだから。

正直、診断を受ける前まで潰瘍性大腸炎なんて名前は聞いたことがなかったし、自分が難病だと誰が思うだろうか?しかも自分の人生はこれからだというのに・・・。

まぁ、なってしまったのは仕方ないのだが。

入院当初は足の腫れのせいで歩行が困難になり車椅子で生活したり、下血のせいで貧血気味、さらには夜は高熱で寝付けなかったりと、自分の人生史上最悪な状態であったが、不思議と前向きだった。特捜最前線で「どん底で開き直った悪」みたいなセリフがあったが、まさにそのメンタリティだった。

潰瘍性大腸炎で入院すると最低でも1ヶ月はかかるので、この退屈な生活をどう過ごすかを考えた。

よく考えみればこれはチャンスである。確かに入院はしてるし、やることはない。でもやることなんて自分で見つければいい。「暇だ、暇だ」と嘆きながら過ごしてしまうのは本当にもったいない。

悲しい現実をなげくよりは

今 何ができるかを考えよう

「Today is another day」

作詞:坂井泉水 作曲:織田哲郎 編曲:池田大介

ZARD

その通りである。

そこで閃いた!!

そうだ、本を読もう!!

考える力が身につく哲学入門 (中経出版)

考える力が身につく哲学入門 (中経出版)

 
「感情」から書く脚本術  心を奪って釘づけにする物語の書き方

「感情」から書く脚本術 心を奪って釘づけにする物語の書き方

 
論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)

 

その他にも何冊か読んだが、入院中に読んだ本の中で特にこれらが自分の人生に影響を与えた本たちである。

「「感情」から書く脚本術」だけは入院直前に読んだ本ではあったが、改めて読み直したいと思ったから入院中にも読んだ。なぜこの本を手にしたかというと、本屋でこの本のタイトルがやたらと目に付いたからである。それは触覚にビンビンくるというヤツだ。脚本家になりたい訳ではないけど、今後役に立つかもしれない。そんな気がしたのだ。

そもそも、私は学生時代は物語を書いていたが、それは特捜最前線的なしっかりとしたストーリーを書いてみたいという憧れもあった。だが、特捜最前線的なストーリーを書くには相当な知識や経験がないと書くことはできない。それは憧れのまま終わった。

私が倒れる直前、その時期のことはあまりよく覚えていないのだが、自分の中で根拠の無い無限の可能性ようなものを感じた。魂が何か、進むべき道を導いている感じ。ここは改めて自分のやりたかったものの原点に立ち返ってみようと思った。私はスピリチュアルやオカルト(オカルトはコンテンツとしては好き)は全く信じないが、この体験だけはかなり気に入っている。極限状態の脳の錯覚だとしても、その体験が出来たからそれでいい。だからこそ、「「感情」から書く脚本術」が目についたのだと思う。そしてこの本のおかげで映画・映像作品の見方が変わり、作品の理解力が読む前とは格段に上がった。かと言って完璧な理解力など身についてはいない。自分が完璧に理解してると思うのは「無知の知」ではないし、学び続けなければならないのだ。

なんだかんだでそれが現在の「マサキの部屋」に繋がっている。

自分でもよく分からない方向で、点と線が繋がった人生ではある。

今日はゾウ 明日はライオンってな具合に

心はいつだって捕らえようがなくて

そんでもって自由だ

「I'LL BE」

作詞・作曲:桜井和寿

Mr.Children

明日は誰にも分からないから、心だって同じだ。

等ブログでMr.Children「Tomorrow never knows」について - マサキの部屋の記事を書いたが、これも2017年の話エピソードである。

プロトタイプの「マサキの部屋」を追憶しつつ、現在の「マサキの部屋」を振り返るのは、言ってしまえば自己満足であるが、私がここまで続けることができたのは読んでいただけているからである。だからこそ、これからも続けていきたい。今後は等ブログと並行して、創作物を中心としたブログ「マサキの実験室(仮)」を立ち上げることを予定している。時期はまだ未定だが。

最後にプロトタイプの「マサキの部屋」で使っていた表現を使って今回の記事を締めたい。

マサキの部屋」はサカモト・マサキというホモ・サピエンスの存在の証明である。それは古代の人類が壁に絵を描いたように、生きていたことをここで主張しているのである。

サカモト・マサキ (@unadultymovie) | Twitter

北斗の拳 南斗聖拳シン! お前は報われぬ愛に命をかけた!!

このブログを立ち上げる前にプロトタイプ版「マサキの部屋」を開設しており、ブログのコンセプトは特に無いまま数ヶ月間続けていた。

現在は削除して存在しないが、今回はプロトタイプ版「マサキの部屋」の記事を自分の記憶を頼りに、手直しして等ブログの記事としたい。

記事の内容はタイトルの通り、南斗聖拳シンについてである。

南斗聖拳シン!お前は報われぬ愛に全てをかけた!!」

かなり熱いサブタイトルであるが、これはアニメ「北斗の拳」第78話のシンの総集編のサブタイトルで、シンというキャラクターを見事に表現している。ここまで熱いサブタイトルをつけるのは、やはりアニメ版「北斗の拳」のテンションの高さ故で、それも魅力のひとつであろう。

北斗の拳 -FIST OF THE NORTH STAR-

北斗の拳」は原作:武論尊氏、作画:原哲夫氏の週刊少年ジャンプで1983〜1988年まで連載されていた漫画である。

北斗の拳」は今もなお根強い人気を誇っており、単行本や愛蔵版、文庫版など様々な形式で発売され、登場キャラクターのスピンオフ作品も数多く存在する。

テレビアニメはフジテレビ・東映制作で、1984月10月11日〜1988年2月18日まで放送されていた。アニメ「北斗の拳」は原作の魅力である"人体の爆発"等のグロテスクな表現はシルエットや透過光で抑えられている。ストーリーやキャラクターも一部改変し、アニメオリジナルの要素も付け加えられているが、「北斗の拳」はアニメ化によってケンシロウ(声:神谷明氏)をはじめとするキャラクターに声が吹き込まれ、世界観をイメージしやすく、より親しみやすいものとなった。また、ナレーションと数々の雑魚キャラなど担当した千葉繁氏はアニメ「北斗の拳」の象徴である。

アニメの主題歌によって楽曲という形でも「北斗の拳」の世界観が表現され、「愛をとりもどせ!!」や「TOUGH BOY」などの名曲を生み出していった。

北斗の拳」は主人公・北斗神拳伝承者ケンシロウが旅をしながら世紀末に生きる悪党や覇権を目指す漢達と戦っていく物語である。

その戦いはやがて、ケンシロウの義兄・世紀末覇者拳王ことラオウ(声:内海賢二氏)にまで至る。

ケンシロウと共に旅をするのが、少女リン(声:鈴木富子氏)と少年バット(声:鈴木みえ 現・一龍斎貞友氏)。二人はケンシロウという大きな存在に触れたことにより、子供ながら人間として大きく成長し、敵・味方問わず散っていった者達の生き様を見届け、次第に世紀末の希望を担う存在となっていく。

北斗の拳」の血生臭い世界観の中で描かれるテーマは「愛」である。

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無料の写真素材はフリー素材のぱくたそより北斗七星の画像  君は北斗七星のとなりに輝く恒星が見えるだろうか?

殉情系男子シンのサザンクロス

南斗聖拳 シン(声:古川登志夫氏)

北斗の拳【究極版】 2 (ゼノンコミックスDX)
 

シンは南斗聖拳の流派・南斗弧鷲拳の伝承者で、南斗六聖拳の愛に殉じる宿命・殉星の男だ。ケンシロウとは友人の関係であった。

北斗の拳」のむさ苦しい漢達と比べるとシンかなりの美男子である。

シンは「北斗の拳」のヒロイン・ユリア(声:山本百合子氏)が昔から好きだった。そのユリアはケンシロウの婚約者である。

シンの南斗聖拳ケンシロウ北斗神拳の関係については原作の初期で語られている。

天空にふたつの極星あり すなわち北斗と南斗 

森羅万象二極一対 男と女 陰と陽 仁王像の阿と吽 

暗殺拳しかり北斗神拳南斗聖拳 

経絡秘孔を突き 内部からの破壊を極意とする北斗神拳を陰とするならば 外部から突きいれすべてを破壊する南斗聖拳は陽

南斗聖拳北斗神拳は争ってはならないという教えがある。

だがシンは友人ケンシロウを裏切り、ケンシロウに北斗七星の形の7つの傷をつけ、婚約者ユリアを奪い去る。そして関東一円を支配する暴力組織KINGの首領として世紀末に君臨する。

そう、シンはケンシロウの長い旅ー強敵(とも)をその手で倒さねばならない宿命に導いた人物なのだ。

ケンシロウと友人関係だったということは、シンは根っからの悪党ではなく、後にシンが凶行に走った理由が明かされる。

シンの登場は原作の序盤で、後に登場するクセの凄い漢達(大物、小物含めて基本的にクセが凄い)と比べると控えめな気がしてしまうが、初登場時には全裸でかつ、女性二人を侍らせるという初期のキャラクターにしてはかなりのインパクトがあった。

アニメでは出番が大幅に増えており、第22話まで登場。それに伴い、"囚われの身"のユリアの出番も増えている。原作とは違い、KINGの傘下にはGOLAN、ジャッカルが加わり、アニメオリジナルのある意味では有名な南斗列車砲やヘリコプター軍団、後にクーデターを起こす将軍バルコムなどが存在し、組織の規模がかなり拡大されている。シン編終了時には第1部完と表示され、原作と比べて待遇が良い。

シンの組織KINGの本拠地の名はサザンクロス。サザンクロスは南十字星である。組織の紋章は血の十字(ブラッディークロス)としている。シンは何かと十字に拘っている。

本拠地サザンクロスはそもそも、ユリアのために築いた町であった。

暴力組織の首領シンは虐殺者であるが、ユリアにだけは優しい。どんなにユリアに拒否されても、その手を挙げたことはない。

そんなシンの強引な愛情にユリアは心変りせず、ひたすらケンシロウを愛し続ける。

たとえ、サザンクロスという町を築き、ユリアに女王という地位を与えようとしても、それはただ虚しいものだった。アニメでは将軍バルコムがクーデターを起こし、サザンクロスは炎上してしまう。原作よりもサザンクロスは悲劇性が強調されている。

私が「北斗の拳」をはじめて読んだのは中1で、夜のニュースの原哲夫氏の特集を見て興味を持ったのがきっかけだった。正直、今の今までシンにはあまり感情を抱かなかったが、後述するシンの遺した言葉の意味が分かった時、シンに対しての見方が一変した。

愛ってなんだろう?

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そんなセンチメンタルな疑問を抱いた人は少なくはないはず。愛とは答えがあるようで無い、もしくは無いようである、答えは人それぞれが出すもので、その答えはたくさんあっていい。

基本的に愛は美しいものとされ、ロマンチックなイメージである。

だが物事には裏と表がある。違う言い方をすれば、陰と陽だ。

北斗の拳」は愛がテーマで、主人公・ケンシロウは愛のために戦うと宣言したことがある。ユリアと結ばれているケンシロウはまさしく陽の愛の体現者といえる。ならばシンはユリアを一途に想い過ぎた結果、友人ケンシロウからユリアを奪い去ってしまう、陰の愛の体現者だろう。「北斗の拳」の覇権を目指す漢達も根本は愛によって翻弄された者だったりするのだ。

シンはかなりの美男子なのでふつうにモテそうだが、愛のために殉じなければならないという星の元なので、ユリアを一途に追い求めて、ケンシロウから奪い去ったのはある意味では必然なのだろう。

もしかしたら、ユリアの気を引きたいがためにシンは自分を磨いてあのルックスになったのだろうか?

アニメのシンの総集編では、ケンシロウがシンのことを振り返った時にこんなセリフがあった。

「そうすることでしか、愛を表現出来ぬ男だったのか。悲しき男よ・・・。」

アニメ 北斗の拳 第78話「南斗聖拳シン!お前は報われぬ愛に全てをかけた!!」より

これはシンの核心をついていると思う。シンはケンシロウと結ばれているからこそ、ユリアに"そうすることでしか、愛を表現"できなかったのだろうが、シンの報われぬ愛に全てをかける様はあのゲーテの名著「若きウェルテルの悩み」の主人公・ウェルテルのようだ。「若きウェルテルの悩み」はゲーテ自身のエピソードがベースになっているという。あのナポレオンも愛読したそうだ。ウェルテル=ゲーテの恋した人妻シャルロッテはその存在だけで人を魅了する。なんだか、ユリアとダブる気がしなくもない。そして、報われぬ愛に全てをかけたウェルテルは破滅に向かってく・・・。

長々と書いたが、シンの暴力を肯定するわけではないし、結局シンの愛情は独り善がりなものだ。独り善がりな愛情ほど迷惑なものはないだろう。善かれと思ってやってる本人にその自覚はない。愛は盲目にさせるのだ。現実に考えたらシンの場合は極端ではあるが、やはり方法は間違えてはならない。

だが、自分で行動を起こさなければ愛は掴み取れない。もしかしたら迷惑かな?と考えれば考えるほど、どつぼにはまって失敗する。だから、愛は陰と陽が存在する。まさに混沌だ。

シンは最後にケンシロウにある言葉を遺した。この言葉こそ、今回の最も重要な部分だ。

しかし こんな町も富も名声も権力も・・・・・・むなしいだけだった

おれが欲しかったものはたったひとつ

ユリアだ!!

アニメでは「ユリアだ!!」と叫んでいる。

私は好きな人に好かれたいと奔走して虚しい結果に終わったことがある。たしかに前よりは自分は変われたかもしれないと、無理矢理自分を納得させ、次は大丈夫だと励まされた。そしてその時シンのこの言葉がよぎった。まさにシンの遺した言葉の意味が分かった瞬間だった。シンに今の今まで感情を抱いたことはないが、この言葉にはものすごく共感した。

北斗の拳のED「ユリア...永遠に」の2番の歌詞はシンの視点の方がしっくりくる。それは「北斗の拳」ファンも指摘している。

夢より愛する君が欲しい 全てが...

「ユリア...永遠に」

 作詞:野元英俊/田中昌之  作曲:今給黎博美  

クリスタルキング

「女は星の数ほどいる」といった言葉があるが、そんな言葉になんの意味があるのだろうか・・・。

シンはサザンクロス=南十字星をユリアに捧げようとした。南十字星は結婚指輪のデザインに使われている。十字の形から、十字架の前で愛を誓うというイメージだそうだ。面白いことに南十字星の近くには"にせ十字"が存在する。南十字星を見慣れていない人は"にせ十字"を南十字星だと思ってしまうらしい。

皮肉なことにシンはユリアに南十字星=サザンクロスを見ていたのではなく、"にせ十字"=ブラッディークロスを見ていたのだ。

 

シン編収録の第1巻

若きウェルテルの悩み (岩波文庫)

若きウェルテルの悩み (岩波文庫)

 

 

【参考資料】

北斗の拳 1 究極版 ゼノンコミックス 原作:武論尊 作画:原哲夫 (徳間書店)

僕たちの好きな北斗の拳  G.B.編(宝島社文庫)

北斗の拳 漫画・アニメ Wikipedia

シン リン バット 北斗神拳 Wikipedia

みなみじゅうじ座 Wikipedia

若きウェルテルの悩み ゲーテ竹山道雄 訳 (岩波文庫)

ゲーテ Wikipedia

 

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 サカモト・マサキ (@unadultymovie) | Twitter

ゼニクレージー大抜擢 正義のシンボル コンドールマン

ドコモのCMに大抜擢された怪人ゼニクレージー。実に何十年ぶりの、意外な形で脚光浴びることになった。

今年の初めくらいにそれを知ったのだが、最初聞いた時には何かの冗談だろ?と思った。そのくらい凄いことなのだ。

今回はゼニクレージーついて語ろう!!

そもそもゼニクレージー(演:井上誠吾氏 声:高桐真氏)は「正義のシンボルコンドールマン」に登場する、悪の組織モンスター一族(いちぞく)の怪人である。

まずはゼニクレージーを語る前に「正義のシンボル コンドールマン」について触れておかねばならない。

正義のシンボル コンドールマン

正義のシンボル コンドールマン」は1975(昭和50年)年3日31日〜9月22日、NET系(現・テレビ朝日)系で放送されていた。原作は「月光仮面」でお馴染みの川内康範氏である。等ブログで扱った「愛の戦士 レインボーマン」と「ダイヤモンド・アイ」、そして本作を合わせて川内ヒーロー三部作とされている。本作のみが東映制作となるが、脚本は「愛の戦士 レインボーマン」「ダイヤモンド・アイ」の伊東恒久氏が担当し、物語を通したメッセージ性は制作会社が違えど変わることはない。また、本作は東映制作ということもあってか、比較的にインパクトの強い作風で、東宝制作の「愛の戦士 レインボーマン」と「ダイヤモンド・アイ」とは違った魅力がある。

本作の主人公はコンドールマン=三ツ矢一心(演:佐藤仁哉氏)。一心がコンドールマンに化身して、悪の組織モンスター一族と戦う。一心は元々、普通の人間でありながら正義のために活動する若者で、モンスター一族の手により志半ばで命を落とす。彼の志しに感銘を受けた伝説のドラゴンコンドルは一心とともに転生し、合成鳥人コンドールマンとなる。転生ということで生前の一心の記憶はない。

一心を無くした三ツ矢家はその経緯を知りつつ、コンドールマン=転生した一心をバックアップ。そして周辺人物達も正義のために献身していく。

モンスター一族

いのちをかける価値もない

それほど汚れたニッポンの

人のこころが産みだした

OP「コンドールマン

作詞 川内康範 作曲 鈴木邦彦 

唄 ヤングフラッシュ

モンスター一族は人間の欲望が産み出したモンスターであり、ボスはキングモンスター(声:飯塚昭三氏)。本拠はニューヨークの摩天楼である。基本的にモンスター一族の怪人達は人間態を持ち、さらには人間態としての個人名もある。

モンスター一族は「人類征服」の野望を掲げ、野望を達成する前に思う存分、人間を苦しめるために行動を開始した。

ゼニクレージーという怪人

ゼニクレージーはどんなヤツかというとその見た目と名の通り、金の亡者である。というか、本当にただの金の亡者なのだ。それ以外に特徴はないけれど、金の亡者という一点のみの特徴が彼のアイデンティティであり、彼の最大の魅力である。

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ゼニクレージーはOP・EDと共に登場し、本作をはじめた見た時には確実に真っ先に印象に残る。まるでコントの番組の怪人のようなビジュアルなのだ。EDの「ザ・モンスター」はモンスター一族の歌で、歌の一番はゼニクレージーの歌詞だ。制作サイドからもかなりのプッシュを受け、番組初期ではまるで幹部かのように立ち振る舞っているが、実際は幹部サラマンダー(声:大月ウルフ氏)の部下にすぎない。

ゼニクレージーは「日本ハンガー作戦」に参加し、黒井食料大臣(演:高桐真氏)として国家に進入、大臣の地位を利用して作戦を進める。

「日本ハンガー作戦」は「愛の戦士 レインボーマン」の敵組織・死ね死ね団が行ったM作戦と通じるものあり、食料の買い占めや友好国の食糧援助の輸送船を襲い、日本人を飢えさせるというものだ。

そんなゼニクレージーは上司の怪人に事あるごとに金を請求する。彼はどんな時でも金のことしか頭にないのだ。

ゼニクレージーは第11話「ゼニクレージー大反撃」にて退場となる。

タイトルの通り、最後には大暴れしてくれるのかと期待したが実際は違う。

彼の戦闘能力は低く、コンドールマンとの戦いではコインを投げつけるだけで、終始逃げ回ってばかり。しかも、巨大なコインとなって転がって逃げる。

そしてコンドールマンの隙をついて冷凍噴射を発するのが、必殺らしい・・・。

最後まで個性を発揮するゼニクレージー

弱さ・セコさも含めて彼らしいなと思わせてくる。強いだけが怪人ではない。

モンスター一族の怪人はクセが凄いのだが、その中でもクセの筆頭はやはりゼニクレージーだろう。

コンドールマン Vol.1 DVD ブックレットにモンスター一族のデザインについての記述があったので引用したい。

モンスター一族のデザインは、当初人間ではなく、より怪物的なスタイルの方向性が考えられていた。それまでの東映テレビ・プロが手がけたものを例に取れば『人造人間キカイダー』におけるダークロボット(怪獣ロボット)的なフォルムのモンスター(妖怪)といって良いだろう。しかし、映像作品に登場するモンスター一族は、殆どがメイク、または着ぐるみから目を見せるなど俳優を生かすよう全面的に改訂されたが、それぞれの特徴は原案から引き継いでいる。

コンドールマン Vol.1 DVD ブックレット

まさしくこれが功を奏し、モンスター一族のゼニクレージーが大抜擢されたといえる。

ゼニクレージーが現在、こんな形で脚光を浴びるのは、誠に喜ばしいことである。

 

ゼニクレージーの活躍を見届けよ!!

コンドールマン Vol.1 [DVD]

コンドールマン Vol.1 [DVD]

 

【参考資料】

レインボーマン ダイヤモンド・アイ コンドールマン大全(岩佐陽一 編 双葉社)

コンドールマン Wikipedia

コンドールマン Vol.1 DVD ブックレット

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サカモト・マサキ (@unadultymovie) | Twitter

特捜最前線 第367話 「六本木ラストダンス!」と「MIDNIGHT GIRL」

久しぶりに特捜最前線について語ろう。

今回は第367話「六本木ラストダンス!」を取り上げる。本作はソフト化されておらず、本作を含めた沢山の作品のDVD・Blu-ray化の願いを込めて思いの丈を綴ってみる。

多分、この回をはじめた見たのはちょうど今の時期かも知れしない。CSの再放送だった。当時の私は学生で、一番多感な時期に「特捜最前線」にどっぷり浸かっていた。だがら、同世代との話題はまったく噛み合わなかったり、実は昭和生まれでは?と思われたりする。

最近放送されたアメトーークの「高校中退芸人」で千原ジュニア氏が学校へ行かず、家で「特捜最前線」の再放送を見ていたと語っており、少しばかり親近感が湧いた。学生時代の私は気持ちが沈みがちだったので、たまに「特捜最前線」を見ていてると、暗い作風・結末に気持ちが引っ張られたりする。メンタルのコンディションが悪い時は「特捜最前線」はお勧めできない。しっかりとした状態で見ることがベストである。その頃の千原ジュニア氏がちょっと心配になったりするが・・・。

第367話 「六本木ラストダンス!」

脚本 佐藤五月 監督 辻 理

あらすじ

録音助手の青年が刺殺体として発見された。死因は自殺と思われたが疑点があり、特命課は他殺として捜査。叶は現場で職質した若い女性・友子が事件に関係があると推測。当初は見込み違いと思われたが、少しずつ死んだ青年と友子が繋がっていく・・・。

東京の眠らない街・六本木

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今回は叶刑事(演:夏夕介氏)主役編で、脚本は佐藤五月氏。佐藤五月氏は「特捜最前線」において嫌な女を描かせたら右に出るものはいないだろうが、今回のゲスト・友子は劇中の叶刑事が形容するように爽やかである。そんな友子を演じたのは広田レオナ氏(表記は玲央名)で、その存在感とミステリアスさは非常に印象的。また、実際にバレエ・ダンスの経験もあるため、友子の存在はかなりのリアリティがある。

「六本木ラストダンス!」は東京の街シリーズとして制作された。

東京 六本木、流行の最先端を担う人達の住む街。彼らの発想、アイディア、ニュースソースはマスコミの波に乗って全国へ、そして世界へと広がっていく。

六本木はまた、眠りを知らない街だ。この街で生活する人達は現実の中に夢を見ようとしているのである。

(叶刑事の冒頭ナレーション)

主役の刑事が冒頭のナレーションを担当するのが割と好きだったりする。ナレーションの言葉も短いながらに簡潔で、これからはじまるエピソードの世界観を巧みに提示させつつ、期待感を持たす。

本作は若い女性・友子が夢を求める生き様を、叶が容疑者として彼女を追う過程で知っていくという、事件よりも友子にベクトルが向いたエピソードである。

特捜最前線」は基本的にストーリー重視であるが、本作の魅力は友子という人物に、六本木という舞台から漂う独特な雰囲気とそれに伴う演出である。なので全体的にスタイリッシュな印象を受ける。

友子はミュージカル・スターを夢見ており、ウェイトレス、ディスコで働きながら、レッスンに通っている。睡眠時間は僅か4時間だという。かなりの努力家で実力はあるが、オーディションにはまったく受からない。叶は容疑者である友子を調べるうちに、ひとりの人間として友子を応援するようになる。←ここが本作のキーポイント。叶は刑事としての自分と、一人の人間としての自分の感情が一致しているわけではない。それは他の刑事達にも言えることはであるが、この葛藤こそ「特捜最前線」の真骨頂であり、まさに心優しき戦士達である。

友子は指輪は身につけている。その指輪はイサドラ・ダンカンが使用していたものとする縁起物で、彼女にとってのお守りだ。

私は本作を見てはじめてイサドラ・ダンカンを知った。

20世紀を代表するアメリカのダンサー。モダンダンスの祖でもあった。

イサドラ・ダンカン Wikipedia より

イサドラ・ダンカンは近代舞踊に多大なる影響を与えたが、事故によりその生涯を終えたという。

本作では個人的にかなり好きなシーンがある。それは友子が深夜に仕事を終えてクロスバイクで帰宅するシーンなのだが、そこに挿入歌の角松敏生氏の「MIDNIGHT GIRL」が絶妙なタイミングでかかる。正直、このシーンで本作に心を奪われたと言っても過言ではない。曲と映像が本当にマッチしているのだ。

特捜最前線」の優れた作品は理屈としても筋が通ったものであると思うが、ではなぜ、「六本木ラストダンス!」が好きなのかと理屈で説明しろと言われれば難しい。理屈で楽しむ作品と感覚で楽しむ作品に分かるのであれば、本作は感覚で楽しむ作品であるかもしれない。まさに心を奪われるというのは理屈ではない、衝動的なある種の一目惚れなのだ。

厳密に言うと、友子と「MIDNIGHT GIRL」の歌詞のイメージとは少しばかり違う。「MIDNIGHT GIRL」の歌詞の内容は"ワンナイトラブ"ではあるが、それでも見事にマッチしているという感じるのは演出のマジックと言えよう。というか、この選曲は本当に見事だと思うし、東京の街シリーズというコンセプトもしっかり表現されている。

「MIDNIGHT GIRL」はEDのテロップに表記が無いため、曲名と誰が歌っているかが分からず、ネットで調べても分からない時期があった。本作を見続けた数年後にやっと分かり、その時はマジで嬉しかった。

だが、忘れてはならない。この番組は「特捜最前線」である。やはり「特捜最前線」は流行の最先端の街というポップなものも漆黒に化えてしまう。

ラスト、叶が事件の調書を書き終えて神代課長(演:二谷英明氏)に提出するが、「これはお前の感想だ。」と書き直しを命じられる。改めて調書を書き終えた時には夜中になっていた。そして夜中の六本木を歩く叶。そこで駄目押しとばかりに視聴者を突き放すシーンが・・・。

 

眠らない街と 星のない空の下で

変わらない夢を自由(ゆめ)を探してる

「星のない空の下で」

作詞 上杉昇 作曲 柴崎浩 編曲 WANDS

WANDS

 

眠らない街で友子が探した夢、それは儚いものだった。彼女の存在もそうであったように・・・。

 

特捜最前線」は刑事ドラマの歴史にその名を刻む、伝説の作品である。「特捜最前線」の持つ独自の、そして鋭利な切り口は見るものの心をえぐりながらも、今でも多くの支持を集めている。東京の街シリーズでは文明社会にも警鐘を鳴らしながら、人生とは何かと問題提起をしてきた。

特捜最前線」は見れば見る程味のある作品であり、また、恐ろしい作品である。

 

 

星のない空の下で

星のない空の下で

 

【参考資料】

イサドラ・ダンカン Wikipedia

広田レオナ Wikipedia

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