マサキの部屋

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第1作「ランボー」について

過去の記事なぜ、ブログ「マサキの部屋」をはじめたのか? - マサキの部屋の約束通り、今回は映画「ランボー」についての記事である。

ランボー」はシリーズ作品であり、誰もがその名を一度は耳にしたことがあると思う。今年9月22日には最新作かつ完結編が全米で公開される。さらには亜流やパロディ作品などが存在し、 比喩表現としても「ランボー」が用いられ、様々な作品に影響を与えている。

今回はランボーシリーズの第1作について語りたい。

ランボー

監督:テッド・コッチェフ

脚本:マイケル・コゾル、ウィリアム・サックハイム、シルヴェスタ・スタローン

原作はデヴィッド・マレル氏の小説「一人だけの軍隊」。

原題は「FIRST BLOOD」。FIRST BLOODは先に手を出したとか、先制攻撃とかそんなニュアンスである。

本作の映画化に関してはいくつかの映画会社で放映権が移るという紆余曲折を経て、最終的にカロルコ・ピクチャーズにて制作された。

主演はもはや説明するまでもないが、シルヴェスター・スタローン氏。本作はスタローン氏の代表作であり、劇中のスタントの大半も本人がこなしている。崖から木に落下するシーンでは肋骨などを数カ所骨折したらしく、作中から伝わるアクションと痛みまさにホンモノだ。共同で脚本もスタローン氏が執筆している。

パロディや比喩表現のイメージの「ランボー」が独り歩きして、第1作を見る以前はスタローン氏のライバルのアーノルド・シュワルツェネッガー氏の主演作「コマンドー」的な作品だと思っていたが、実際は違う。特に第1作の「ランボー」は暗く、重い。それにヒロインも存在しない。ベトナム帰還兵の主人公ランボーの孤独な戦いが描かれる。

あらすじ

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ランボーは戦友を訪ねるが、その戦友はすでに病死していた。その足で町へ向かうと、警官ディーズルに不当に逮捕されてしまう。署に連行されたランボーは警官達から理不尽な扱いを受け、ベトナム戦争の陰惨な記憶が蘇る。ランボーは発作的に警官達に反撃し、森に逃げ込む。かくしてランボーの一人だけの戦争がはじまった・・・。

孤独な終わりなき戦い

冒頭、ランボーベトナム戦争の戦友の家を訪ねるが、その母親から息子は化学兵器の影響によってガンを患い、死亡したと告げられる。開始早々からかなり暗い。

戦友の死を告げられる前にランボーは、母親に戦友との想い出を笑顔を交えて無邪気に話していたが、戦友の死を知らせられた瞬間、ランボーから一切の笑顔が消える。

本作のテーマはWikipediaから言葉を借りると、「戦争の傷」である。主人公ランボーも過酷な戦争経験からPTSD心的外傷後ストレス障害を患っている。

PTSDは自然災害、事故、戦争、暴力などが原因となり発症する精神疾患である。精神的に苦痛な体験や強いストレスによってその体験がフラッシュバックしたり、不安・緊張が続く。また、目まい、不眠などの症状があるという。

あの名作映画「タクシードライバー」の主人公トラヴィス(演:ロバート・デニーロ氏)も「ランボー」と同じベトナム帰還兵であり、不眠症を患っている。

原作者のマレル氏はベトナム帰還兵の体験談を元に小説「一人だけの軍隊」を執筆。PTSDを患った帰還兵もたくさんいたようだ。

当時、帰還兵達は世間から非難を浴びていた。

ランボーを追い込んだ警官ディーズル(演:ブライアン・デネヒー氏)はかなりの頑固者だが、町の住民や警察官達と上手くやっている。ディーズルはランボーに「人に好かれる気はないのか?」と言った。人に囲まれているディーズルにとってランボーはただの不審者にすぎなかったのだ。

 警察や州兵から追われる身となるランボー。だがランボーは元グリーンベレーでゲリラ戦のプロであり、サバイバルナイフと森の地形を利用して追っ手を退ける。しまいには機関銃M60を奪い、ディーズルの町へ逃げ込む。そして体に銃弾帯を巻きつけたランボーはM60で町を破壊する。

ランボーは追われる身となった瞬間、完全にこの世の中の居場所をなくしたと言っていい。先に向こうが仕掛けた戦いでも、ランボーの戦いは虚しい反逆でしかなく、その先に明日はない。

そこにランボーを育てた元上官・トラウトマン大佐(演:リチャード・クレンナ氏)が説得しにやって来る。トラウトマンはナイスミドルで実に魅力的な人物だ。

警官の投降の呼びかけには一切反応しないランボーもトラウトマンの呼びかけには無線越しでその重い口を開く。戦友を亡くしたランボーにとってトラウトマンがこの世で唯一の理解者であった。トラウトマンはランボーを追うことに執念を燃やすディーズルに、ランボーがいかに危険な戦闘マシンかを再三に渡り警告する。だが、ディーズルにその警告は聞き入れられなかった。

本作の見所はド派手なアクションもそうだが、ラストのトラウトマンの説得シーンこそ、最大の見所と言ってもいいだろう。

トラウトマンとついに対面するランボー。トラウトマンはランボーに「包囲されている。逃げられない。もう任務は終わったんだ。」と言う。それに対してランボーはトラウトマンを指をさして言った。

「Nothing is over! Nothing!

(何も終わっちゃいないんだ!)」

ランボー」より

帰国すれば非難され、そのうえ仕事も無い。仲間は戦場で亡くし、堪え難い悪夢が今でもずっと続いている・・・。

本作はアクション映画だが、敵を倒すために戦うのではなく、社会に抑圧された主人公が暴れ回るのである。だから、破壊行為の発端が主人公の心の傷なのだ。本作はアクション映画でありながら感情に訴える映画で、その部分が作品としての評価を上げている。ランボーシリーズで一番評価が高いのは第1作の本作である。

彼は僕自身の負の部分だ

ランボーの素顔」より

本作のBDの映像特典の「ランボーの素顔」でスタローン氏がそう語っている。スタローン氏のもうひとつの代表作の「ロッキー」は自身の境遇と重ね合わせたストーリーであるが、本作は栄光に向かっていくのではなく、ひたすら虚しい方向に向かう。また、シュワルツェネッガー氏の超人的な「コマンドー」と比べてみても、「ランボー」は人間臭く、弱さを持ち合わせている。だがらこそランボーは感情移入できるキャラクターなのだ。

そしてテーマ曲「It's a Long Road」は後のシリーズを予期するかのようにランボーの戦いはこれからも続くのであった・・・。

消耗品=どうでもいい人間

ランボーは次回作「ランボー 怒りの脱出(FIRST BLOOD PART Ⅱ)」で過去を振り返った時、自身のことをこう形容した。

消耗品(Expendable)。

そう、聞き覚えのある単語であろう。

さらにランボーは続ける。

「パーティに欠席してそれを誰にも気づかれない人間 どうでもいい人間だ」

ランボー 怒りの脱出」より

このセリフが心に残った。

第1作の「ランボー」の戦いは俗世間から外れた人間の"心の中の戦い"、つまり、孤独な人間の心の中と凄く似ていると思うのだ。ディーズルは頑固者だが町の人間と上手くやっている。そのディーズルに追い込まれたランボーは森に籠城して追っ手を退ける。この世界から居場所をなくしたランボーはたったひとり、孤独になったのだ。

孤独な人間は人間社会で上手くやっていけない。上手くやるには人に好かれたり、周りの人間と良好な関係を築かねばならない。孤独な人間は繊細で、器用に生きられない。だから自分の世界に籠城し、なるべく周りとの接触を避けるのだ。そしていつの間にかにその存在が忘れられている。

ランボーの境遇は違えど、心境的には共感出来る部分があると思う。著名人達はよく友達は要らないというキャッチーで極論じみたことを言うが(内容、発言の前後が切り取られてる場合がある)、人間として生きる以上、友達・知人を通して自分の存在を証明したいものだ。誰かに必要とされるということは本当に大事である。しかし、それが出来ずに孤独を選んだものの、結局は人を求めてしまうというヤマアラシのジレンマ。

戦友を探しに来てその死を知らされ、さらにこの世の居場所を完全に失ったランボー。やはり人間は一人で孤独に生きていくのは難しいのだ。友達は数が多ければ多いほどいいわけではないが、全くいないのはかなり辛い。だからこそ、数人の友達を大事にしていくべきである。

だって、友達と一緒に盛り上がれれば笑い合えれば自分の人生は楽しいと思えるではないか?

 

【参考資料】

ランボー Wikipedia

タクシードライバー Wikipedia

ランボー Blu-ray 映像特典 ドキュメント 「ランボーの素顔」

PTSD|病名から知る|こころの病気を知る|メンタルヘルス|厚生労働省

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